猫が大好き宇多天皇
日本最古の「猫日記」を書いたといわれる宇多天皇という人物を皆さんはご存知でしょうか?
宇多天皇は平安前期の「第59代天皇」で、一度は源氏の名を賜ったことから臣籍に下ったのですがお父様の希望によって再び皇籍に戻ったという珍しい人物です。
宇多天皇は桓武天皇のひ孫で、醍醐天皇の父でもあります。仁和寺を完成させたことでも有名なのですが、猫好きにとって知っておきたいのが「日本最古の猫日記を書いていた」ということ。
宇多天皇は知る人ぞ知る「愛猫家」だったのです。
宇多天皇の猫好きエピソード
宇多天皇の書いていた日記である「寛平御記」は、現存している天皇の日記の中でも最も古いと言われているのです。
この「寛平御記」は全部で10巻あったということは分かっているのですが、残っているこは断片的なところだけとなっています。
その日記中には赤衡事件などに関する政治的な内容と買っていた猫の「猫好きエピソード」があります。
その日記のエピソードを現代語訳をしてご紹介させていただきます。
寛平御記に書いてあった猫好きエピソード
私(宇多天皇)が飼っている黒猫である1匹の猫は、いとこである源精(みなもとのくわし)が任期を終えて都に戻るときに先帝(宇多天皇の父上)にプレゼントをした子です。
この子の毛色はとてもまれで他の猫にもあるどこかぼやけたようなグレーにも似た黒色なのに墨のように真っ黒な色なのです。
まるで中国にいる黒い猟犬(韓盧)のようで、とても可愛いです。
背の高さはおおよそ18cmくらい、身体のナガサは大体45cmくらいでしょう。かがむと黒キビの粒のように小さいのに関わらず、身体を伸ばすと弓を張ったように長くなるんです。
瞳は透明な石のようにキラキラと輝いていて、でもその中は針のような鋭い瞳孔が光っています。
耳はまるでスプーンのように真っ直ぐと立っており、折れたりしないです。
香箱座りをしているときは、足も尻尾も見えなくなってまるで「黒い宝石」が鎮座しているようにしか見えません。
歩くときも、全く足音が聞こえずまるで雲の上にいる黒龍のようです。
散歩をするのが大好きで、散歩をしているときの様子は虎や鹿、熊、猿、鳥のようなときもしばしばあります。
よく頭を低くして地面に尻尾をつけ、立って背筋をのびーっと伸ばすと60cmくらいの高さにもなります。
この子の毛色が美しいと思うのはこの動きでそう見えているだけなのだろうか?
よく夜にねずみを獲ってくることがあり、他の猫よりも俊敏です。
先帝は数日かわいがってから、この黒猫を私にくださいました。
私はこの5年間毎日欠かさずミルク粥をあげえかわいがっています。
しかしこれは黒猫が優れているのでお世話をしているのではなく、先帝がくださったからどんなに小さい生き物でも大切にしなくてはと思って大事にしているのです。
だからあるとき、黒猫に「君は魂もあって、目や鼻、口、耳、手足まですべて備わっているんだから私の気持ちがわかるよね?」と聞いてみると猫はふうっとため息をついて私を見上げて何か思うことがあったようです。
しかし猫は言葉を話すことはできませんでした。
このように記されていました。
ここで驚くべき猫バカぶりエピソードをまとめてご紹介します。
ミルク粥を与えていたということ
さきほどの日記にはミルク粥を与えていたと記されていましたよね。ミルク粥は、当時は非常に高価で庶民にはもちろん、貴族でもいつでも簡単には食べることができなかったものなのです。そんなミルク粥黒猫に宇多天皇は毎朝与えていたということがわかります。
話しかけていた
現在の飼い主さんはもちろん猫に話しかけることはありますが、宇多天皇も同様に猫に問いかけるように話しかけていたようです。「お前には魂などがあるから、僕の考えが分かるよね?」と。
問いかけ方が猫との会話レベルではないですよね(笑)またそれを日記にわざわざ記録していたのです。どこまでこの黒猫を大切にしていたかということがよく伺えるエピソードですね。
宇多天皇の黒猫は招き猫でもあった
源定省の運命が大きく変わったともされる仁和3年8月のこと。
このときに父親である、光孝天皇が病気によって危険な状態となったようですがこのときにまだ天皇の後継者が決まっていなくてやや混乱状態になりました。
関白・藤原基経は妹で清和天皇の女御であった高子とけんあくであったためにその息子を天皇にはさせたくないと考えていました。
そこで藤原基経は天皇の子である源定省を皇籍にふっきさせて皇太子に定めました。
そして、定省親王は宇多天皇として即位することができたのです。
ですから日本最古の日記に登場した黒猫は、日本初の招き猫でもあったのでしょう。
まとめ
宇多天皇は猫に高価なミルク粥を与えたり、心情を問いかけるなど大変猫を愛していたようです。このように記された寛平日記、実際に目にしてみたいですね。