動物愛護センターにやってきた「ちび」
飼い主であったおばあちゃんが亡くなり、キジトラのちびは動物愛護センターに引き取られました。
もともと緑内障の治療を続けていて、ネコエイズでもありました。年齢は8歳。
ちびという名前に反して丸々としていました。性格は穏やかで無愛想。
センターでは食は細く、トイレ以外ではちぐらから出てこないような子でした。
わたしはセンターでちびのお世話をしていましたが、病気もあるし家に猫もいたので飼う気はありませんでした。
しかしとある老夫婦がちびをもらってくれることになった時、残念に思ってしまったのです。
半年以上ちびと過ごしているうちに仲良くなっていたので、別れが辛くなっていました。しかし老夫婦はちびの病気について獣医師さんと話し合った結果、飼うことを断念しました。
その時わたしは、ちびを迎え入れる決心をしたのです。
闘病の連続
迎え入れた初日は驚きの連続でした。
初めてちびが走る姿を見ました。初めてベッドにもぐりこんできた猫と一緒に寝ました。初めてたくさん食べるちびを見ました。
やっぱり猫もお家が決まるとほっとするしのびのびするんだなあと大変感心しました。
ネコエイズがあるので、同居猫である黒猫のクロとは離れて生活します。たまにニアミスで出会ってしまうと双方かなり驚いていました。
半月ほどはなにごともなく幸せに暮らしていましたが……
緑内障の治療
もともと前の飼い主さんの頃から緑内障である右眼を治療していたちび。
しかしその飼い主さんとの死別、慣れないセンターでの生活がストレスであったのでしょう、右眼は急速に大きく悪くなっていました。
病院に通い目薬をうつ日々でしたが、あまりに大きいので右眼の摘出手術を受けることにしました。
脳腫瘍とてんかん
右眼の摘出手術は無事成功しました!
しかしそれから、ちびはてんかんの発作を起こすようになりました。ネコエイズの影響もあったのかもしれません。
一時的なものではなく、何度も発作はやってきます。日に何度もあれば、夜中だろうとやってきます。
激しい痙攣が起こるたび、わたしはちびを必死に押さえつけちびの無事を祈りました。
狂ったように頭をガクガクと振動させ四肢を跳ねさせ口からよだれをこぼす様は、とても痛々しかったです。
てんかんの後は過食をするようになり、体重が増えないよういろいろなフードを試したりしました。
ちびはおそらく脳に腫瘍があるとされました。てんかんだけでなく、斜頸、四肢の麻痺があらわれ、走ることはできなくなりました。
足をひきずって、えっちらおっちらゆっくり歩くようになりました。
ベッドには階段を使って上がるようになり、最終的にはベッドはお布団に変わりました。
処方された薬を毎日飲んでいました。
それでもちびは懸命に生きました。
具合が良くない時はわたしと一緒に出勤して、じっと寝転んで待っていてくれました。
ゆっくりですが歩く時はいつもわたしの後を追っていてくれました。
名前を呼ぶと小さく返事をしてくれたり、誰が撫でても嬉しそうにしてくれていました。
愛を教えてくれたちび
ちびと暮らして3年が経った頃、ついに自力で歩行ができなくなってしまいました。
初めて猫の介護をしました。
寝たまま排泄をするので清潔を保たせ、寝返りも時折うたせます。食べられる間は流動食を与え、水はスポイトで飲ませていました。
話しかけると表情が変わるので楽しい話を聞かせてやり、夜には一緒に寝て昼にはいつも居た寝場所に移動します。
わたしが離れると危篤状態になり、報せを受けて飛んで帰ると意識を取り戻したりしました。
わたし以外の人が呼びかけてもぴくりとも反応しないのに、何度も何度も、奇跡を起こしてわたしの呼び声には反応してくれました。
ほとんど気力だけでちびは数ヵ月生きました。
わたしはちびを眺めていると、「これが愛なのだな」とはっきりと確信できたものです。
ちびの最期と今
一緒に暮らし始めてから3年半頃に、ちびは天国にいきました。
腕の中で息を引き取ったちび。介護生活は長かったですが辛いことはなにもなく、ただただお世話をさせてくれてありがとう、と感謝しかありません。
ちびの教えてくれた愛を胸に、わたしは新しい家族とともにこれからも過ごしています。
きっとちびも、わたしとの生活に少しは良い思い出を持っていてくれたと思います。
まとめ
ちびのように難病をもつ保護猫は少なくないと思います。飼うためには相応の知識と、心の準備が必要かと思います。
病気故に長くは一緒にいられないかもしれません。お金もかかるし、介護もしなければいけません。
それらを含めて、わたしはちびとの生活がかけがえのないものでありました。ちびが幸せであったかは、はっきりとはわかりませんが、めいっぱい幸せと感じられるようにわたしは努力したと胸を張ります。
願わくばちびのように病気と闘う猫達みんなが、幸せでありますように!