サスケ参上

白くてフワフワした毛の、ラグドールの保護猫を車で迎えに行きました。サスケくんです。当時生後1ヵ月半程でした。
そのころ、初代のサバ丸(祖父の家近くで生まれた保護猫)が兄と共に引っ越しをし、会話が少なく静かになってしまった我が家に、どうしてもまた猫を迎えたい!という思いがありました。2ヵ月後、インスタグラムで見つけた里親募集の投稿を見て早速連絡したのです。
『可愛い子猫なので、すぐ里親が見つかると思います』
ミルクボランティアの方の言葉を聞き、その日に即決し、一旦家に帰り、父母私の3人でお迎えに行きました。
サスケが我が家にやって来たのは、寒さの厳しい2月でした。
楽しく穏やかで幸せな日々が続きました。
サスケ生後3ヵ月

そんな楽しい時間もわずか1ヵ月弱。徐々に体調不良が見られ始めました。くしゃみ・鼻水・下痢・食欲不振が続き病院通いが始まりました。
1歳になるまでは病気になりやすいと聞いていたので、しょうがないなと思っていた矢先、サスケは急にぐったりとしてしまいました。
FIP。
恐れていた事が起きました。まさかそんな稀な病気になるとは想像もしていませんでした。
1軒目の病院が閉まっていた為、別の病院へ。2軒目の病院で1ヵ月程通院し、注射、飲み薬、毛を剃られてのエコー検査。サスケの小さな体に沢山の施術が施されましたが、必死で耐えてくれました。
『これ以上手の施しようがありません。』
お医者様からの言葉を受け入れきれなかった私は別の病院を探し、食事療法に重きを置いてるお医者様のところへ行きました。
が、まさかの注射、薬三昧。生きて欲しいという必死な思いで、病院に頼る事しか考えつきませんでした。
猫にとって病院はストレス。わかってはいたけど、どうしていいかわからない私は、お医者様の言う事を聞く事しかできなかったのです。
生後5ヵ月、闘病生活2ヵ月

サスケは毎日、ベッドの上で私の腕に顎を置き、息苦しそうに寝ていました。
満月の夜、サスケはひとりでとぼとぼ歩きリビングへ。
『熱も下がったし、大丈夫になったのかな?』そんな事を思いながら私は眠りにつきました。
翌朝、いつも以上にフラフラしていたサスケはなんとかトイレを済ませ、母親に抱っこされていました。
私が洗面所に向かった時、母親の泣く声がしました。
サスケ吐血。
パニックになりました。手が震え、泣きながら会社の人に連絡し休ませてもらい、仕事に行ってた父親に電話するとすぐに帰って来ました。その後、急いで病院へ向かっている途中にサスケは虹の橋を渡りました。
虹の橋

火葬を済ませ、お経を読んでもらい帰宅。その時、生まれて初めて父親の涙を見ました。
『みんな、サスケの事が大好きだったんだよ』
小さな体でよく頑張りました。また生まれ変わって私の所に来てね。そう心の中で何度も呟きました。
その日の晩、寝静まった頃にリビングから鈴の音が聞こえました。家族全員がその音を聞きました。『まだサスケいるね(^-^)』
1週間程、そのような事が続きました。
3代目、4代目

2ヵ月程過ぎた頃、ふと保護猫の里親募集を検索してみました。その数の多さにびっくり。まだまだ小さな命が飼い主を探しているのです。
『これはいかん。』
そして保健所から茶白猫と黒猫を譲り受けました。
毎日元気に生きている事に心から感謝します。
まとめ

私は大人になって、動物を飼うのは初めてでした。父も母も同じく。亀より大きい動物の世話をした事がありませんでした。
猫というのは、みんながみんな平均寿命まで生きるものだと思っていました。私の勉強不足です。
今から猫を飼う方には、生半可な気持ちで飼ってはいけないという事をわかってほしいと思います。どんな動物を飼うのも同じですが。何があっても一生添い遂げると言う覚悟がある人にペットを飼っていただきたいです。
ペットが生きているという事は本当に奇跡で、ありがたい事なんだなと感じています。今いる2匹も元気でいてくれる事に、いつも感謝しています。人間もまた同じです。
命の大切さを教えてくれた貴重な出来事でした。