ドラ猫の定義
悪い猫
野良猫のことをすべてドラ猫と呼ぶこともありますが、基本的には人に迷惑をかける猫をドラ猫と言います。この場合、飼い猫、野良猫に関わらず、人の家の物を盗むなどすれば、ドラ猫と呼ばれます。
おなじみ国民的アニメ「サザエさん」のオープニングの歌詞で「お魚くわえたドラ猫 追いかけて」と、あるように、よその家や店先から魚など物を盗むような猫のことですね。
現在では、猫を指してドラ猫と呼ぶことは少なくなりました。猫に魚を盗られた、なんて話も、聞かなくなりましたよね。防犯の観点や、ほとんどの家でエアコンが設置されていることから、窓やドアを開け放しておくことがなくなり、野良猫が入ってくる余地がなくなったためと思われます。
戦後の日本の住宅には、まだ網戸もなく、暑い時季は窓やドアを開け放しておくことがありました。そのため、野良猫が入ってきて、食べ物を持って行ってしまう、ということもよくあったようです。
戦後の食糧難のさなか、猫に食べ物を持って行かれてしまうのは、大きな問題だったのでしょう。猫の方も、生きるのに必死だったに違いありません。
野良猫
ドラ猫と聞くと、良いイメージではないですよね。一般的にドラ猫というと、よその家から物を盗んだりするような、人に迷惑をかける猫のことを指します。また、辞書では、もうひとつの解説として、飼い主がいない猫と書かれていることもあります。飼い主のいない野良猫が、ドラ猫です。
ドラ猫のドラの意味
ではなぜ、人に迷惑をかける猫をドラ猫と呼ぶようになったのでしょうか。ドラ猫のドラの語源は、どら息子のドラと同じだといわれています。その「ドラ」がどこから来たのかというと、これにはいくつか説が存在します。
「銅鑼」が語源
ひとつは、「銅鑼」。平たい大きな吊るされた鐘のことで、バチで叩いて使う打楽器です。船が出帆する時や、仏事でも使われます。中国の映画などでよく目にしますね。
この銅鑼を鐘にかけて、また「鐘」と「金」が同じ読み方であることから、「鐘を突く」が「金を尽く(金が尽きる)」に変わっていったという説です。
そのため、仕事もせずに、金が尽きるまで遊び惚けているような息子を「どら息子」と呼ぶようになりました。平気で物を盗んだりする野良猫が、どら息子のように見えるので、ドラ猫と呼ばれるのです。
「道楽」が語源
もうひとつ、ドラ猫の「ドラ」は「道楽」だという説もあります。「道楽息子」の「道楽」がなまって「どら息子」になりました。猫が人に迷惑をかける様子が、遊び惚けているどら息子のようなので、ドラ猫という名前になったのでしょう。
サザエさんと同じく国民的アニメの「ドラえもん」の「ドラ」も、ドラ猫から来ているそうですよ。ドラえもんの性格からは、ドラ猫とは言い難いでしょうが、その丸まるとした体格から、ドラ猫の「ドラ」を使ったのでしょう。
猫も、やせ細った猫よりも、太った猫の方がドラ猫と呼びたくなりますよね。
ドラ猫の写真5選
野良猫が家に入って来て魚をくわえていく、という光景は見なくなりましたが、身近な猫ちゃんにイタズラされてしまうことは、よくありますよね。家の中にいる飼い猫も、時々ドラ猫ちゃんになっちゃうようです。そんなドラ猫達の写真をご紹介。
お魚くわえたドラ猫
サザエさんのオープニングの歌詞にあるような、まさにお魚をくわえたドラ猫。大きな魚をしっかりと歯でくわえて、歩いていますね。かつての町では、こんな光景も時々見られたのかも知れません。
現行犯で見つかっちゃったドラ猫
こちらは、焼いた魚を失敬した黒猫。金網で挟んであるので、食べられなかったのかも知れません。上目づかいでこちらを見ている様子が、ばれちゃったとでも言っているようですね。困ったような表情に、思わず微笑んでしまいます。
ソーセージを盗むドラ猫
まな板の上のスライスしたソーセージに手を伸ばす猫。器用に1枚失敬です。真剣な表情がかわいくて、怒れませんね。
冷蔵庫の中を荒らすドラ猫
冷蔵庫の中を覗き込んで物色する猫。何やらおいしい物を見つけたのでしょうか。見られていることに気づいていない様子です。
3匹のドラ猫
テーブルの上には、バターを塗ったパンが。そのパンをかじったり、バターを舐める3匹の猫。よほどお腹がすいているのかも知れません。
まとめ
ドラ猫は、遊び惚けているどら息子に重ね合わせて、そう呼ばれるようになりました。食べ物を泥棒するなど、人に迷惑をかける猫のことですが、何となく愛嬌が感じられて憎めないイメージですよね。
「サザエさん」のオープニング曲の「お魚くわえたドラ猫……」という歌詞や、「ドラえもん」、アメリカのテレビアニメ「ドラ猫大将」など、私達の耳になじみがあるからかも知れません。
現在では、ドラ猫という言葉は、あまり使われなくなりました。エアコンを使うようになり、戸締りをしっかりするようになった住宅には、猫が入ってくる余地がないのでしょう。
野良猫達には、少々生きにくい時代かも知れません。それ以前に、野良猫になる猫を作らない社会を築いていくことが大切なのだと、考えさせられます。