猫が季語として登場する俳句
猫が季語として入ってる俳句があるのをご存じですか?
ご存じの方も多くいらっしゃるとは思いますが、今回ご紹介させていただきます俳句とは、5・7・5の17音というものが基本的な形とされています。
この短い文章の中に季語を入れ、季節の風情溢れる俳句に作られたものが、過去から現在に渡り愛されてきた作品として残されています。
また、俳句の基本として「杓子」の「しゃ」は二文字ですが、発音としては一言で発するため「杓子」の「しゃ」などの拗音や、「そっと」の「そっ」などの促音も、一文字として計算されています。
このような俳句文字の扱いも含めて、俳句の作者たちは、猫たちを季語として巧みに登場させ、季節感や哀愁を帯びた俳句を残しています。
それでは、猫が季語として登場する俳句7選を見ていきましょう。
猫が季語で入っている俳句1.『声たてぬ 時が別れぞ 猫の恋』
- 作者:加賀千代女(かがの ちよじょ)
- 季語:猫の恋=春
こちらの俳句の季語に入っている「猫の恋」は、猫たちの声が聞こえなくなったら、猫の恋(春)にも別れが訪れるという俳句です。
どのような別れなのかは聞き手の想像によって変わってきますが、想像が広がる非常に奥深い一句と言えますね。
猫が季語で入っている俳句2.『今の世や 猫も杓子も 花見笠』
- 作者:小林一茶
- 季語:花見=春
「猫も杓子も」の語源には、「猫」は神主(禰子)や女子を表し、「杓子」は僧侶(釈氏、釈子)や弱子などを表すと、諸説が様々ありますが、言葉の意味には「誰もが、どんな者でも」という意味があります。
この俳句は、誰もが花見を楽しんでいる姿を表すために、「猫も杓子も、花見笠」と詠んだのではないかと考えられます。
意外とストレートな俳句なのに、詠んだけで花見の景色が浮かんでくる、小林一茶の風情溢れる一句です。
猫が季語で入っている俳句3.『麦飯に やつるる恋か 猫の妻』
- 作者:松尾芭蕉
- 季語:猫の妻:恋=春
これは、松尾芭蕉が猫の妻(メス猫)を登場人物として詠んだ俳句とされています。
普段、麦飯しか食べられない痩せたメス猫が、恋の季節になると食欲を失い、更にやつれてしまった…あのメス猫は。と言う意味で、松尾芭蕉は恋にやつれるメス猫の健気さに愛情を込めて詠んだとされる一句です。
猫が季語で入っている俳句4.『猫の恋 止むとき閨の 朧月』
- 作者:松尾芭蕉
- 季語:猫の恋=春
朧月と猫の恋で春の夜を感じさせ、閨(寝室)で眠る前という情景を思わせる、松尾芭蕉の巧みな俳句です。
この俳句の解釈では、先ほどまで猫の恋する、騒々しい鳴き声が聞こえていたが、今は静寂が戻ってきた。ふと見れば、春の短夜の朧月が部屋に差し込んでいる。
猫に刺激されたわけでもないが、何となく私も人恋しくなる春の夜です。
というように解釈されており、この短い文章の中で松尾芭蕉の心境と、風景を組み込んだ奥深い一句と言えますね。
猫が季語で入っている俳句5.『しろたへの 鞠のごとくに 竈猫』
- 作者:飯田蛇笏(いいだ だこつ)
- 季語:竈猫=冬
しろたへのとは、「白妙の」という意味で、コウゾなどの木の皮の繊維で織られた白い布を表します。つまり、竈の火のぬくもりを求めて、鞠のように丸くなる白猫のことを指した飯田蛇笏の俳句とされています。
猫が季語で入っている俳句6.『ふみ分けて 雪にまよふや 猫の恋』
- 作者:加賀千代女
- 季語:雪=冬:猫の恋=春
季語である雪と、猫の恋が混ざる加賀千代女の俳句です。
もしかすると、春が訪れようとする冬の終わりとも捉えられる俳句ですね。
また、冷たい雪をふみ分けようと…どこを歩こうと悩む猫の姿を、恋に迷う姿を重ねて詠んだ非常に女性らしい繊細な一句です。
猫が季語で入っている俳句7.『またうどな 犬ふみつけて 猫の恋』
- 作者:松尾芭蕉
- 季語:猫の恋=春
「またうどな」という言葉の意味は、真面目や正直と言った意味がありますが、扱われる場面によっては、真面目すぎる性格や愚かなという意味をほのめかします。
この俳句の解釈では、恋に狂った猫が、ぼーっとして横になっている犬をふみつけて、闇雲に走っていったよ。と解釈されており、松尾芭蕉が猫と犬の性格の対比の面白さを詠んだものとされています。
「猫の恋」は春の季語
ご紹介した猫の俳句では、「猫の恋」が「春の季語」として数多く登場してきました。
猫の発情期を季語としている
一見、季語として感じにくい猫の恋ですが俳句を詠む作者たちに、非常に好かれて使われる季語と言われています。
これは、春に猫たちが発情期を迎えることで、異性を求めて猫たちが鳴いて歩く姿を、人の恋に似た部分を感じていたのでは…と考えられており、猫の恋が使われるときは「好きな人を求めて恋い焦がれる様」であるということになります。
俳句の季語「猫の恋」は、猫たちのようなストレートな求愛をしたくてもできない恋心を言葉に隠す日本人らしい奥ゆかしさの表れのように感じますね。
猫を季語として詠った俳人
猫を季語として詠った俳人は本当に多くいらっしゃるので、ここでは俳句をご紹介させていただいた4名の俳人(作者)の方々をご紹介させていただきます。
松尾芭蕉
出身:三重県、時代:江戸時代
19歳から俳句を嗜んでいた松尾芭蕉は、29歳で句集を上野天満宮に滞納したあと、三重県を離れ江戸を目指しました。
松尾芭蕉は諸国をめぐる旅を好み、各地で俳句を詠んでいたとされます。
その後に、松尾芭蕉により俳句の独立性が進み、明治時代に設立された俳句の源流になりました。実は、松尾芭蕉が猫の恋の季語を幅広く広げた俳人でもあります。
小林一茶
出身:長野県北部、時代:江戸時代後半
波乱万丈かつドラマチックな人生を歩んだ小林一茶は、その生涯で22000句を詠んでこの世に残しています。
その中でも猫の俳句は300句を越えるとされており、小林一茶がいかに猫好きで、様々な猫たちとの出会いがあったことが俳句から伺えますね。
加賀千代女
出身:石川県、時代:江戸時代
一般の家庭に生まれながら、俳句を嗜んでいた加賀千代女は、12歳で俳句を学ぶために奉公に出向き、北潟屋主人に弟子入りする。
16歳になると女流俳人としての才能を表し、17歳にして「ホトトギス」を題にした俳句で各務支考から才能を認められました。全国にその名を広めることになった猫の俳句もありますが、一番は朝顔の俳句で有名な俳人です。
どの俳句も美しく、繊細な女性らしいところが加賀千代女の魅力ですね。
飯田蛇笏
出身:山梨県、時代:昭和
近代俳句の中でも、格調の高い句風が高く評価され、人々から愛される飯田蛇笏の俳句は奥深く、人の人生を表すような洗練された俳句です。
飯田蛇笏は、太平洋戦争を経験し身近な人を亡くしながらも俳句を愛し、俳誌「雲母」を発行するなど活動を続けました。
角川書店は、1967年に飯田蛇笏の功績を称えて「蛇笏賞」を創設し、毎年6月の優れた句集に授与されています。
飯田蛇笏は、猫の季語の俳句だけでなく、日常の景色や季節の移ろい感じたままを詠んでいますが心を洗う美しい俳句を世に多く残しています。
まとめ
今回は、猫が季語として登場する俳句7選をご紹介しました。
俳句とは短い言葉の中に多くの感情と、作者の経験や思考が込められており、非常に奥深い魅力を感じますね。
「猫の恋」も、言葉のままでなく、言葉の裏に意味や様を隠す日本人らしい比喩であるとも言えますね。
ここでは7選をご紹介させていただきましたが、猫が季語として登場する俳句は、まだまだありますので、ご興味がありましたら他の作者の俳句も見てみてくださいね。