江戸時代の猫ブームと歴史

江戸時代の猫ブームと歴史

概要

  • 江戸時代に猫にとっても暮らしやすい環境が整ったので個体の数が爆発的に増えた
  • 江戸時代は鎖国の影響から猫のほとんどは三毛猫で、尻尾の短い猫が多かった
  • 雄の三毛猫は航海に連れていくと事故にあわないとされるなど、非常に貴重な縁起の良いものであった

現在の日本は空前の猫ブームを迎えていますが、実は遙か昔の江戸時代にも猫ブームがあったのをご存じですか?江戸時代と言えば様々な文化が生まれた時代でもあり、日本の歴史の中でも平和だったと言われている時代でもあります。そんな平和で数々の文化が生まれた江戸時代に訪れた猫ブームとはいったいどんなものなのでしょうか?

江戸時代にあった猫ブーム

浮世絵

江戸時代の猫ブームと絵師

江戸時代の猫ブームで忘れてはいけないのが、「絵師」の存在です。江戸時代の有名な絵師達は好んで猫を飼っている人が多く、かの有名な浮世絵師「歌川国芳」を始め、様々な絵師が猫をモチーフにした作品を残しています。

人気の絵師達が猫の絵を書くことでさらに猫ブームを加熱させていったと言われています。

猫が爆発的に広がったのが江戸時代です。江戸時代になると食物が溢れ、環境的に野良猫が増えやすく猫にとって暮らしやすい環境が整ったためにその個体数が増えたと言われています。

さらに食べ物が増えるということは、それを狙うネズミの数も増えたためにネズミを駆除する猫を各家庭で飼うことが当たり前となっていったのです。

庶民の中だけではなく、夜の世界で生きる遊女達の間では冬でも裸足で過ごすのが粋だとされていて湯たんぽ代わりに猫を着物の裾に入れて歩くのが流行ったのだとか。

江戸時代の猫の鳴きごえ

  • 鎌倉時代:「ねうねう」
  • 江戸時代:「にゃぐにゃぐ」
  • 江戸時代の途中から「にゃーにゃー」

ちなみに猫の鳴き声はその時代によって鳴き声の表現方法が違ったそうです。鎌倉時代は「ねうねう」と表現していたそうで、この鳴き声の表現が変化して「ねこ」という名前になったという説もあります。さらに時が進み江戸時代では「にゃぐにゃぐ」と表現されていたそうです。

しかし江戸時代の途中から、一般庶民に猫が浸透していくにつれ今の猫の鳴き声「にゃーにゃー」が一般化されていったそうです。

猫が人とより身近になっていくことでその鳴き声の表現方法が変わっていくというのはおもしろいことですね。

平安時代の猫ブーム

猫は飛鳥時代、奈良時代に農作物を荒らすネズミを退治してくれる動物として、飼い始めたのが最初だと言われています。その後、平安時代などに文化人に愛されるようになった猫は、紫式部の「源氏物語」、清少納言の「枕の草紙」にも登場しています。

江戸時代の猫の名前

神社と猫

江戸時代の猫の名前と現代の猫の名前はやはりといいますかずいぶんと違うのは想像ができますよね。

現在日本で人気の猫の名前は「レオ」「ミルク」「ミー」「ソラ」など外国の名前が多いのに対し江戸時代は「トラ」「ミケ」「タマ」など昔からある名前がやはり主流だったようです。

さらに、江戸時代の猫達はほぼ三毛猫だったので「ミケ」という名前の猫が多かったという話もあります。

江戸時代の猫に三毛猫が多い理由

これは当時は鎖国の影響で、日本国内にいる猫だけで外国からの猫と交配されることがなかった為古来より存在していたミケ猫が多く存在していたためと言われています。

ただし、実際は三毛猫が多かったわけではなく、三毛猫が描かれた絵が多いだけという説もあり、真偽は定かではありません。

日本猫の形は江戸時代に作られた

この時代は、猫達も独自の進化を遂げていて最初は長い尻尾の猫がほとんどだったのですが江戸時代になると日本にいる猫は尻尾の短い猫が多かったようです。

これは尻尾の長さは遺伝子によって決まりますので優性遺伝である尻尾の短い猫が、増えていった為です。このため古来より存在する「日本猫」とは「尻尾が短い三毛猫」のことを指すようになりました。

しかし現在の日本では様々な猫種が増え、「日本猫」が減ってきているといいます。江戸時代の人々も愛した日本猫がいなくなってしまったら寂しいので、是非これから日本猫がいなくなるようなことがないようにしたいですね。

江戸時代に猫は貴重だった理由

三毛猫

江戸時代、猫は「縁起物」として大変重宝されていました。たとえば「招き猫」これが生まれたのも江戸時代です。ネズミから作物や商品を守ってくれる猫を飼うことが出来ない人たちのために「お守り」として好んで店先に置かれるようになったのが始まりです。

歌川国芳の猫絵

また前述でも紹介した「歌川国芳」は江戸一番の猫好きで、そんな国芳が描く猫をモチーフにした作品は大変縁起がいいとされお守りとして飛ぶように売れたと言われています。

江戸時代、三毛猫は航海の時のお守り

その他にも航海の時に貴重な「雄の三毛猫」を連れて行くと海難事故に合わないとされ、三毛猫を連れて行ったり、連れていけなくても三毛猫が描かれた絵や彫刻を持って行ったとされています。

猫又伝説が産まれたのも江戸時代

さらに猫の逸話や伝説も多く生まれ時にはあがめられ、時には人々に恐怖を与える存在として語り継がれていったのです。猫の妖怪として知られる猫又伝説が生まれたのもこの時代です。

家で飼っている猫が年老いると尻尾が二股に別れ「猫又」になると本気で信じられていて、尻尾の長い猫は猫又になると言われ、短い尻尾の猫が好んで飼われるようになったという話もあります。

そんな話も全て猫の不思議な魅力がなせるわざなのかもしれませんね。

まとめ

浴衣の女の子と猫

猫は人々の生活にそっと寄り添う存在として、長年愛され続けてきました。

様々な逸話が残っているのもそれほど猫が魅力的で神秘的だからこそと言えます。江戸時代から時を経て再び訪れた猫ブーム。是非この期間に猫を愛して猫と楽しく過ごして下さいね。

投稿者

30代 男性 匿名

「江戸時代には三毛猫ばかりだった」というのは遺伝学上あり得ません。
三毛猫とはX遺伝子が二つ(以上)重なったときにのみ発現する毛色であり、
三毛猫母と三毛猫父(江戸時代にどれほどいたのか?)の間で生まれたところで三毛猫が生まれるわけではないからです。

ただし、「江戸時代に描かれたネコの絵画が殆ど三毛猫」というならば理由はつけられます。

・墨一色になってしまう黒ネコ
・輪郭だけになってしまう白ネコ
・ネコ以上に題材として好まれる虎との違いを出しにくい虎ネコ
・絵に描くのが難しい錆ネコ

上記の柄が絵師に好まれず、比較的書きやすくネコ特有の柄である三毛が好まれたのは納得の行く話ではあります。

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