ベトナム戦争をともに生き延びた「同志」 猫と米人記者の13年におよぶ友情 

ベトナム戦争をともに生き延びた「同志」 猫と米人記者の13年におよぶ友情 

ベトナム戦争中の激戦地で出会った子猫。「放置できない」と感じた米人記者は、猫を連れてベトナム国内を避難し、やがて米国へと輸送しました。気の強い猫と記者は「生死をともにした戦友」として深い友情をはぐくんだのです。

戦地で、やせ細った子猫を発見

外で汚れた猫

画像はイメージです

1968年2月、米国人のJohn Laurence記者は、ベトナム戦争の激戦地フエから取材を行っていました。しかし危険が迫ってきたため、まもなく脱出する予定になっていました。

そんなある日、彼は爆撃で焼け落ちた住宅の廃墟で、やせ細ってお腹をすかせた小さな子猫を見つけました。子猫は汚れて毛もボサボサで、ノミだらけでおそらく眼の感染症にもかかっていました。

彼は餌をあげようとしましたが、子猫は隠れて出てきません。仕方なく食糧を少し残して、その場を立ち去りました。

翌日戻ってみると子猫はやや元気を取り戻していて、彼の手から餌をもらい、顔や耳についたノミや汚れを落としてあげてもいやがりませんでした。

このままでは子猫は戦場で生き残れないでしょう。Johnさんは思わず子猫を抱きしめ、そのままジャケットのポケットに入れました。そして「Meo」(ベトナム語で猫を意味する)と名づけたのです。

子猫を連れて避難

ポケットに入った子猫

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彼と子猫はヘリコプターやC-123機に乗り換え、戦闘地域から離れたダナンへと移動しました。その途中、Meoはコックピットを興味深げに探索し、操縦士の肩ベルトによじ登ったりしていました。

ダナンの戦闘情報局の兵舎に着き、部屋に閉じ込められたMeoは、なんとか脱出しようとうろうろ歩き回っていたといいます。まもなく「フエの戦いを生き延びた幸運な子猫」という噂が米軍基地に広まり、多くの人が彼を訪ねてきて写真を撮ろうとしました。

しかしMeoはあまり社交的ではなく、寄ってくる人を引っ掻いたり、逃げて隠れたりしていたのです。やがて慣れてくると、子猫は兵舎の報道センターを自由に出歩くことが許されました。あちこち出かけていって、食事と睡眠のときだけ戻ってくるようになったのです。

ときどきJohnさんのベッドのそばで眠ることもありました。気性の荒いMeoには「ベトコン猫」というあだ名がつきました。

1968年3月、MeoはJohnさんとともに飛行機でサイゴンへ向かいました。ホテルに着くと、バルコニーの縁に長時間座って下の通りのようすを眺めていました。ベトナム人のホテルスタッフは、彼に喜んでおやつを持ってきてくれたのです。

ホテルで初めて体を洗ってもらったMeoは、体毛が露わになりました。ほとんど白猫ですが、少しオレンジ色が混ざった毛色だとわかったのです。もちろん、お風呂のときMeoは最大限の抵抗を試みたそうですが…。

子猫を米国へ輸送し、家族に

キャリーに入った猫

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5月になるとJohnさんの米国への帰国が決まりました。Meoと絆を深めた彼は、悩みました。もしこのまま置いていけば、野良猫になるか、殺されてしまう運命でしょう。フエに送り返すことも不可能です。

Johnさんはこの猫とともに帰国することを決めました。サイゴン動物園で予防接種と健康診断を受けたMeoは、Johnさんが旅立った数日後に飛行機の貨物室に乗せられ、ニューヨークのJFK空港へと空輸されました。36時間の旅を経験したMeoは、空港に着いたときはとても機嫌が悪かったといいます。

住む場所を探している間、コネチカット州に住む母親がMeoを預かってくれました。家には同居猫がいましたが、Meoはたちまち親分として君臨しました。Meoは近所の子供たちの間でも人気者になったのです。

ところがある日突然、この猫は姿を消してしまいました。探し回っても見つかりません。やっと4日目になって、ガレージの中でケガをした状態で発見されました。おそらく交通事故にあい、何とか戻ってきたのでしょう。

獣医に診せると、肩に2、3ヵ所骨折があり、足の骨も折れていました。助かるかどうかが危ぶまれました。さっそく骨を固定する手術を受けたところ、幸いにも、やがて外を自由に歩き回れるほど回復したのです。

肺炎になって3週間入院したこともありました。抗生物質の投与で回復しましたが、くしゃみの発作はその後も完全には治らなかったのです。

ロンドンへの転勤、そして別れ

弱った猫をなでる人間の手

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数ヵ月後、Johnさんと恋人のJoyさんはマンハッタンの小さなアパートに引っ越し、Meoも引き取られていきました。

その後1970年5月にJohnさんはベトナムに一時派遣されましたが、Joyさんからの手紙によると「猫はあなたを恋しがっている」ということでした。

Johnさんが無事に戻ったとき、Meoは当初は無視していたものの、彼の荷物の臭いをクンクン嗅いでいました。そして彼が寝床につくと、Meoは頭のそばに座って長い間その顔を見つめていたといいます。

やがて1970年に、彼は仕事でロンドンへ移りました。そこでJoyと結婚し、2人の娘を授かりました。

Meoも検疫ののちに新しいアパートに連れていかれましたが、「不当な扱いを受けた」と感じたようで、荒れ狂って悪魔のように部屋中を駆け回っていました。あるときはドアのすきまから差し込まれる郵便物を見て、配達員の指にかみついたこともあります。

しかしJohnさんとMeoの友情はずっと変わりませんでした。ときどき一緒にブランデーを舐め、二人ともよろめきながらベッドへ向かうこともあったのです。

残念ながらMeo は1981年に13歳でふたたび肺炎にかかり、亡くなりました。ベトナム戦争を生き抜き、ともに危険な旅を経験した同志は、天に帰っていったのです。

「わたしたちの関係は、ある意味で互いの血に染まり、生と苦しみと死を包括する米国とベトナムの姿を象徴するものでした」とJohnさんはのちに記しています。

出典:Cats in Wartime 6

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