猫がぼくに人間性をくれた…異色作家バロウズ

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米国の作家ウィリアム・S・バロウズは、その小説によって「わいせつ罪」裁判の対象となったり、自身も麻薬依存症で同性愛者だったりと、1950~60年代に大きなセンセーションを巻き起こした存在でした。
彼は人間よりも猫と深い絆で結ばれていました。カンザス州ローレンスにある自宅は、事実上の猫屋敷でした。彼にとって猫は愛すべき仲間であるだけでなく、精神的な導き手でもあったのです。なかでもFletch、Ruski、Smokeという名前の3匹は特別な存在で、詩的なモチーフのように彼の進むべき道に影響を与えたといいます。
晩年、彼は自伝的中編小説「The Cat Inside(内なる猫)」を執筆しました。これは長年共に暮らした猫たちを通して、自身の人生を振り返った作品です。この作品で彼の文章はこれまでと打って変わって繊細になり、「猫たちがぼくの人間性を取り戻してくれた」と述べています。
あるとき詩人だった友人から「愛されたいと思ったことがあるか」と尋ねられたと、彼は「It depends. By who or what. By my cats, certainly」(それはだれなのか、どういう状況なのかによるね。でうちの猫だったら、間違いなく愛されたいよ)と答えています。
愛猫が「秘書」だった…探偵小説家チャンドラー

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レイモンド・チャンドラーは、20世紀半ばの米国に偉大な探偵小説をもたらした作家です。彼が生みだした主人公のマーロウは、ロサンゼルスのネオンサインと煙の立ち込めるホテルバーの街でバーボンを愛飲する個性的な探偵でした。
チャンドラーはフルーツ摘み労働やテニスラケット修理、石油会社の重役などをへて、44歳になってから探偵小説を書き始めました。小説家になった彼の横には、つねに愛猫Takiがいました。このめずらしい名前はもともと日本語の「竹」にちなんでつけられた名前です。チャンドラーはこの黒いペルシャ猫を自分の「秘書」として特別に愛していたのです。
彼は友人に書いた手紙で、Takiは常に彼の机の上におり「たいていはわたしが使いたい紙の上に座っている。ときにはタイプライターに寄りかかり、あるいは机の隅から静かに窓の外を眺めていて、『お前のやってることは時間の無駄だよ』といっているかのようだ」と表現しています。
エッセイの発明者…モンテーニュ

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ミシェル・ド・モンテーニュは、フランス・ルネサンス期にたいへん影響力のあった作家でした。貴族で政治家でもあった彼は有名な散文を書き始め、これがのちの「エッセイ」の原型になったといわれています。
「試みる」を意味するフランス語「essai」に由来するモンテーニュのエッセイは、彼自身の精神を率直に探求したものでした。彼の作品は結婚や乗馬から腎臓結石、ディナーパーティーの帰り方に至るまで、ほとんどあらゆるテーマに触れる広範なものです。
出版から数100年たっても大切に愛読されてきたモンテーニュのエッセイは、ヨーロッパにおける啓蒙主義の基礎を築くのにも貢献しました。
とくに注目されるのは、愛猫に関するエッセイです。「An Apology for Raymond Sebond(レイモン・スボンへの弁明)」の中で、彼は飼い猫に言及して、「人間が動物より優れているとする虚栄心」について批判的に書いています。彼は「猫が世界をどう見ているのか」を考えてみるのです。「わたしが猫と遊んでいるとき、猫のほうはわたしと遊んでいるわけではないなどと、どうしていえるのだろうか」と彼は述べています。他者の視点から世界を想像するという近代的な考え方を、この時代の彼はすでに身に着けていたことがわかります。
出典:Unlikely Cat-Lovers: Four Iconic Writers and the Felines Who Loved Them