イギリス人は猫が好き
もうずいぶん前の話になってしまいましたが、2005年にイギリスに1年半ほど住んでいました。
当時、勤務していた大学は10年以上勤続していると、1年間は給料はそのままで海外留学できるという制度がありました。しかも、赴任手当が200万円も付くのです。
その当時、研究活動における人間関係に悩んでいたところ、先輩に「一度海外に出るとリセットできていいよ」とアドバイスをいただき、思い切ってこの制度を使うことにしました。
イギリスへの留学を決意
若くはありませんでしたが、女性一人で海外に留学するとすればどこにするか、悩んだ末に英国を選びました。
恩師のつてでラボを紹介してもらい、英国シェフィールド大学(※1)に行くことになりましたが、ラボの教授についての知識はほとんどもってませんでした。
行ってみると、実はヒト幹細胞の研究では世界的権威のある研究者でした。ちょうど大型予算が付いてラボが半年ごとに1フロアーずつ増えていくという状況でした。
「幹細胞WARS(ウォーズ)(※2)」という洋著を、西川伸一先生(※3)が監修された訳本を帰国後に読んで、とんでもない時期にヒト胚性幹細胞の研究の世界に飛び込んでいたことを改めて知って震えました。
(※1)シェフィールドは、ロンドンから北に電車で2時間、マンチェスターからは東に電車で1時間。イギリスのおへそのあたりに位置する。
(※2)幹細胞WARS(ウォーズ)―幹細胞の獲得と制御をめぐる国際競争 単行本 – 2009/7/27 シンシア フォックス (著), Cynthia Fox (原著), 西川 伸一 (翻訳), 志立 あや (翻訳), 千葉 啓恵 (翻訳), & 三谷 祐貴子 (翻訳)
(※3)元・独立行政法人理化学研究所発生・再生科学総合研究センター幹細胞研究グループグループディレクター兼副センター長。現在はNPO法人オール・アバウト・サイエンス・ジャパン (AASJ) 代表理事、JT生命誌研究館顧問。
イギリスでの生活とペット事情
それまでアメリカには国際学会の出張で行ったことがありましたが、イギリスは初めてでした。日本に居た時は雑用で忙しかったのですが、イギリスに行くと一切のしがらみから放たれて時間ができたので、あちこちある歩き回りました。
中でもスーパーにはよく行きました。イギリスのスーパーに行って驚いたのはキャットフードの売り場がドッグフードの倍ぐらいのスペースがあることでした。
ラボのイギリス人達に聞くと、「イギリス人は猫が好きだからね。猫は気まぐれだから、すぐに飽きるだろ。餌もいろいろ種類がないとね。」と説明してくれました。
彼らに言わせると、イギリス人は猫が好きなんだけど、たいてい犬とセットで猫2匹+犬1匹、あるいは、犬2匹+猫1匹というパターンで飼ってることが多いのだとか。
実際、ラボの教授は犬2匹+猫1匹でした。隣のラボの教授は、猫2匹に犬1匹を飼っていて、お土産に招き猫を差し上げたら、とても喜んでました。
イギリスでは、フィッシュ&チップスには、グリンピースか、グリンピースをマッシュしたものが付いてきます。白魚のフリッターには、レモンをかけて、チップス(ポテトのフライ)にはモルトビネガーをかけて食べます。ちなみに、スナック菓子のポテトチップスは、「クリスプス」と言います。
▲フィッシュ&チップス&ピー
イギリスは、たいていダウンタウンから車で15分も行けば、だいたい牧草地となります。そこには、顔と足が黒い羊たちがたくさんいます。
▲イギリス・マンチェスター郊外のピーク・ディストリクト国立公園
ボスの猫は3本脚
▲犬のココとディングと一緒にくつろぐ猫のパプリカ
イギリスでは、お客様を歓待するときは自宅に招きます。ちょうどスペインの大学の教授がシェフィールド大学を3か月訪問しているときに、ラボのボス(研究の世界では、自分の所属する教室(ラボ)の教授を「ボス」と呼びます)のお宅に夕食に招かれました。
家のエントランスまでの庭にはキャンドルが1mおきに照らされていました。家の中に入る前に、まずはお庭のテーブルに座り、アペリティフを楽しみます。ジントニック、ビール、ワインなどそれぞれが好きなものをお願いしました。
そして、おつまみは、なんと柿の種!
スペインの教授も、日本往復のフライトで出てくる柿の種が大好きだと言います。高級スーパーで見つけるとつい買ってしまうのだとか。こんなおしゃれな空間で、柿の種をイギリスで食べるなんて、日本人としては、とても不思議な気持ちになりました。
▲パプリカに寄り添う犬のディング
そんな優雅な日暮れを楽しんでいると、突然、ざざざっという草にあたる音と、わんわんわんと、犬の鳴き声がしました。
『ココ!やめなさい!』 とボスが叫びました。庭で、ラブラドールレトリバーのココが、ネコのパプリカをおかけ回していたのでした。
『僕たちは、ココの教育に失敗してしまって、言うことを聞かないんだよ。パプリカは 3本脚なんだけど、ココに捕まらないように、ちゃんと走り回るんだ。』
え? 3本脚?
パプリカが3本足になった原因「猫の線維肉腫」
▲階段で寝てる猫のパプリカ
どういうことなのか聞くと、パプリカは13歳の時に前足に腫瘍を発症したとのことです。 獣医さんから、そのままにしておくと広がってしまうので、脚を切除することを勧められ、3本脚になったとのことでした。
驚くべきことに、術後、パプリカはすぐに回復したそうです。脚が3本になっても以前と同様に不自由なく暮らすことができるようになりました。木に登れるようになり、池で魚を捕まえたり、さらには、家の屋根の上で日向ぼっこをしているのを、ボスご夫妻は見かけたと言います。
私は帰国後もボスのお宅に何度かお邪魔しました。パプリカは、ネコらしく、マイペースで自分の過ごしたいようにしているように見えました。
腫瘍は線維肉腫だったそうです。摘出後、腫瘍は再発せず、その後、パプリカは9年生きたそうです。
そんな話を思い出し、猫の線維肉腫について調べてみました。
「猫の線維肉腫」はどんな病気?
2016年に、スイスの研究が発表されていました[1]。2015年に、彼らは1965年から2008年の間に集計されたネコの患者記録のスイス・ネコがんレジストリを発表しています[2]。そのデータをさらに分析した研究です。
51,322匹のネコの患者記録がありました。その中で腫瘍と診断された症例は17,856例(34.79%)。これらの診断のうち、14,759例(80.32%)が悪性でした。
悪性腫瘍の主な内訳は、
- 腺がん 2613例 (17.7%)
- 線維肉腫 3209例(22.1%)
- リンパ腫 2868例(19.4%)
- 扁平上皮がん 1,811例(12.3%)
でした。
少し難しい言葉がでてきたので、言葉の説明をします[3]。
- 腫瘍というのは、過剰に細胞が増殖して塊を作ったものを言います。これには、良性と悪性とあります。
- 上皮系の細胞から、つまり、皮膚や粘膜、臓器等から発生した悪性の腫瘍を「がん」と言います。
- 腺がんというのは、体の中でなにかを分泌するような腺組織:胃、腸、肝臓、すい臓、子宮、甲状腺、胚、乳腺などから発生するがんです。
- 骨や筋肉、脂肪、神経等から発生した悪性の腫瘍は、肉腫(サルコーマ)と言われます。
- リンパ腫というのは、血液のがんの一種です。
- 扁平上皮がんは、主に皮膚や粘膜からできるがんです。
線維肉腫の発生部位は、
- 皮下(皮膚)を含む結合組織で88.5%、
- 部位不明(5.7%)
- 口腔/咽頭(3.1%)
発症年齢・発生率は、
- 中高齢の猫に多く発生
- 去勢したオス猫と猫全体の発生確率は同じ
- 去勢済みのメス猫は、猫全体よりも発生率が高い
- メス猫は、オス猫より、発生率が高い
この論文を発表した研究者達は、その後も継続して調査しています。
2009年初頭から2014年末までのスイス・ネコがんレジストリが21,692例ありました。腫瘍と診断されたのは8923例で、そのうち1,512例(16.9%)が線維肉腫と診断されていました。
その96%は皮膚/皮下に発生しており、多いのは肩、脇腹、背中部分の皮膚ででした。これらの部位における線維肉腫の割合的な分布は、ほぼ同じでした。
線維肉腫は、2010年から2014年にかけて顕著に減少し始めました。
2009年は282例、2014年は160例に減少しました。スイスの猫人口に関する公式な統計はなく、ペットフード業界によれば、猫130万~150万頭と推定されています。
そこで、これを計算してみました。全体の発生率としては、0.01%で、1万匹に1例という発生率になります。それほど多い数ではないので、少しほっとしました。
肉腫の発生部位は注射部位に多く、猫注射部位肉腫(Feline Injection Site Sarcoma, FISS)と言われるようです。
過去に線維肉腫の発生率が高かったのは、ワクチンを打つ際に免疫能力を上げるために一緒に混ぜられて投与されたアジュバントであるミョウバンの影響が推定されているようです。ですが、まだはっきりしたことはわかっていないようです。
これについては、また別の機会に、もう少し詳しく調べてまとめてみたいと思います。
線維肉腫の治療法
線維肉腫は、周囲に広がっていく腫瘍です。転移の可能性は低いですが、局所再発が多いようです。そのため、まずは、積極的に完全に切除する手術が推奨されています。[4]
補助療法として、放射線治療、化学療法が推奨されているようですが、補完的に免疫療法も使用されるようです。
まとめ
悪性腫瘍発症後、どれだけ生きられるかは猫の自身の生きる力によるところも大きいと思います。猫のパプリカは、腫瘍が見つかってすぐに脚の切断を決断した獣医さんのおかげで、その後も再発せず、長生きできたのでしょう。
私たち飼い主は、万が一に備えて、腫瘍等を早期に発見できるよう、日ごろから猫の体を十分に触ってスキンシップを図るのが良いかもしれませんね。
拙宅の愛猫・レアちゃんは、後脚の周りをなかなか触らせてくれません。毛玉ができて、いつも動物病院でカットしてもらっています。触らせてもらえるようになんとか頑張りたいと思います。皆さんも、猫ちゃんとスキンシップを深めていただくことを願っています。
謝辞:パプリカの写真は、シェフィールド大学幹細胞研究センターのピーター・アンドリュース教授からいただきました。
参考資料
[1]Graf R, Grüntzig K, Boo G, Hässig M, Axhausen KW, Fabrikant S, Welle M, Meier D, Guscetti F, Folkers G, Otto V, Pospischil A. Swiss Feline Cancer Registry 1965-2008: the Influence of Sex, Breed and Age on Tumour Types and Tumour Locations. J Comp Pathol. 2016 Feb-Apr;154(2-3):195-210. doi: 10.1016/j.jcpa.2016.01.008.[2]Graf R, Grüntzig K, Hässig M, Axhausen KW, Fabrikant S, Welle M, Meier D, Guscetti F, Folkers G, Otto V, Pospischil A. Swiss Feline Cancer Registry: A Retrospective Study of the Occurrence of Tumours in Cats in Switzerland from 1965 to 2008. J Comp Pathol. 2015 Nov;153(4):266-77. doi: 10.1016/j.jcpa.2015.08.007.
[3]国立がんセンター 希少がんセンターさまざまな希少がんの解説https://www.ncc.go.jp/jp/rcc/about/sarcoma/index.html
[4]Graf R, Guscetti F, Welle M, Meier D, Pospischil A. Feline Injection Site Sarcomas: Data from Switzerland 2009-2014. J Comp Pathol. 2018 Aug;163:1-5. doi: 10.1016/j.jcpa.2018.06.008.
[5]Zabielska-Koczywąs K, Wojtalewicz A, Lechowski R. Current knowledge on feline injection-site sarcoma treatment. Acta Vet Scand. 2017 Jul 17;59(1):47. doi: 10.1186/s13028-017-0315-y.
幹細胞研究者としてヒトES/iPS細胞や間葉系幹細胞の研究やビジネス化に従事。2022年1月からベンチャー企業・株式会社セルミミックの代表として、ライフサイエンスからライフスタイルまでのコーディネートおよびコンサルタントを行う。著書「本当に知ってる? 細胞を培養する方法(出版社 : じほう)」
《twitter》@mihofurue