唾液の力
指を怪我した時に、思わず傷口を舐めることはありませんか。傷口を舐めるのは人間だけではありません。多くの動物達が自分の傷口を舐めたり、仲間の傷口を舐めてあげたりします。
唾液に含まれる成分の中には、殺菌作用や抗ウイルス作用を持っているものが多く含まれています。リゾチーム、ラクトフェリン、免疫グロブリンの一つであるIgAなどです。
1mlの唾液の中には1億個以上の細菌がいるといわれています。1平方センチメートルの皮膚の表面には1,000個程度の細菌しかいないのと比べると、驚く程多いです。にも関わらず口の中の傷が化膿しにくいのは、唾液の殺菌作用によるものだといわれています。
またネズミを使った古い実験では、複数で飼った方がお互いの傷口を舐めることで1匹で飼うよりも傷の治癒が早かったことも示されています。また最近、唾液中に含まれるヒスタチン-1というタンパク質が傷口の治りを促進する働きを持つことが複数の実験で示されています。
【ネズミで唾液が傷の治りを早めたことを示した実験】
HUTSON, J., NIALL, M., EVANS, D. et al. Effect of salivary glands on wound contraction in mice. Nature 279, 793–795 (1979).
https://doi.org/10.1038/279793a0なぜ猫に傷口を舐めさせないほうが良いのか
このように、唾液には傷口の治癒を促進する作用のある成分が含まれることが分かっているのですが、猫に関しては、ある問題があります。
猫の舌の表面は、表面が角化している糸状乳頭という鋭い突起がたくさん並び、ザラザラしています。糸状乳頭は、水を飲んだり毛繕いをするのにとても役に立ちます。また、ナイフのように獲物の骨から肉をそぎ取る時にも役に立ちます。
愛猫に舐められ続けてヒリヒリした経験のある飼い主さんも多いのではないでしょうか。人間の舌にも糸状乳頭がありますが、猫の糸状乳頭はより硬く鋭く、舌表面に多く存在します。
猫の場合も、傷口を舐めることで唾液が傷の治癒を早める効果が期待できるかもしれません。しかし動物病院で治療を受けている場合は、傷口を舐めさせない方が良さそうです。外用薬を舐め取ってしまう、ザラザラした舌が傷口を広げて悪化させてしまうといった可能性があるからです。
そのため、愛猫が怪我をしたり手術をした場合には、傷口を舐めさせないための対処が必要となります。
愛猫が傷を追った際の対処法
1.エリザベスカラーの着用
動物病院で怪我の手当や手術を受けると、エリザベスカラーを貸与されることがあります。ジョウロやラッパのような形をした固い器具で、猫の首に巻いて使用します。装着すると、顔の周囲がガードされて傷口を舐められなくなります。
16〜17世紀のエリザベス朝時代にヨーロッパ諸国で流行していた、フリルの飾りがついた丸い襞襟に似ていることから名付けられたようです。猫が自分で傷を舐められないようにするには役立つものですが、視界はが悪くなったり頭が重くなったりちょっと動くとすぐにどこかにぶつかるなど、猫自身にとってはとてもストレスフルな器具です。
犬や猫の体格に合わせて様々なサイズがありますが、自分の愛猫に合ったサイズのカラーが借りられないこともあるかもしれません。筆者がお借りした物も、猫には少々大きすぎるサイズでした。最近は動物病院で借りられるだけではなく、小さくて軽く柔らかい素材の物も市販されていますので、できるだけ愛猫の体型にあい、かつきちんと目的を果たせるサイズの製品を探してあげると良いでしょう。
2.術後服の着用
最近は、術後服とか皮膚保護服と呼ばれる洋服も販売されています。おしゃれのために着せる服ではなく、伸縮性が高く、傷口や皮膚炎などのトラブルを抱えている部位を舐めないように肌を保護するための洋服です。
普段洋服を着慣れていない猫にとっては、術後服もストレスに感じるとは思いますが、エリザベスカラーと比べるとだいぶストレスが軽減されると思われます。愛猫の体型にあったサイズで、刺激が少なく着心地の良い素材でできた服を選んであげると良いでしょう。既製品の服ではなく、筒状ガーゼなどを利用して病院が術後服を手作りしてくれることもあります。
ただし、基本的に服で保護できる部分は腹部になります。人間の服でいうとノースリーブと短パンのつなぎのようなイメージです。四肢は保護できないので、四肢を舐めさせないようにするためには、今の所エリザベスカラーや類似のものが最善の対処法となるでしょう。
エリザベスカラー着用時のストレス軽減策
1.食器の改善
エリザベスカラーが食器にぶつかり、食事や飲水がしづらくなることが多いです。口径が小さめの食器にする、ボウルが少し高い位置にくるようにする、重い食器にしたり下に滑り止めを敷いたりしてカラーがあたっても動かないようにするなどの工夫をしてあげましょう。
2.トイレの工夫
エリザベスカラーをしたままトイレに入れるよう、屋根のあるタイプやドームタイプのトイレを使用している場合は屋根を外したり臨時にオープンタイプのトイレを用意してあげましょう。普段より大きなトイレが必要となることもあります。
3.エリザベスカラーの種類
ソフトな素材で家具などにぶつかっても痛くない、猫に最適なサイズで必要以上に視界を遮らない、皮膚に刺激が少ない素材を使用している、浮き輪型で猫が動きやすいものなど、猫の快適さも重要視して作られた製品もありますので、効果がありかつ愛猫に最適なものを選ぶことでだいぶストレスを軽減できるでしょう。
4.こまめなケア
エリザベスカラーを装着していることで、傷のない部分への毛繕いもできなくなります。普段以上に飼い主さんがこまめにブラッシングなどのケアを行うようにしてあげましょう。
まとめ
筆者もそうでしたが、愛猫にエリザベスカラーをつけると嫌がるため、つい外してあげたくなってしまいます。唾液には傷の治りを早くしたり殺菌したりする効能もあるからなどと、外してあげた方が良いのではと思ってしまうこともあるでしょう。
しかし猫の舌の構造を考えると、糸状乳頭による傷の舐め壊しのリスクも大きいのです。皮膚を縫った糸を切ったり外してしまったり、塗った薬を舐めとってしまったりしてはいけません。きちんと治療を受けた上で、舐め壊しをさせないことが、猫の傷を治すにはとても重要です。
普段通りの生活ができずにストレスになることは避けられませんが、少しでも工夫をしてストレスを軽減し、唾液に含まれる成分によって傷の治りが早くなることを期待するよりも、舐め壊しをさせないことで傷の早期治癒を実現させてあげましょう。それが結果的に、愛猫の苦痛を最も減らすことができると考えます。