猫のコロナウイルス ワクチンの難しさ
怖い猫の病気は、多くがワクチンで防げるようになってきました。しかし、コロナウイルスはワクチンを作るのがとても難しいウイルスだとされています。猫のコロナウイルスについても、未だ確実に有効とされるワクチンはありません。
その理由の一つが、抗体介在性感染増強作用(ADE: antibody-dependent enhancement)と呼ばれる現象です。ADEは、抗体がすでに存在しているところにウイルスがやってくると抗体とウイルスが合体した複合体が作られるのですが、その複合体がより細胞に取り込まれやすくなる、という現象です。
つまり、ワクチンを接種して抗体が体内で作られた場合、実際にそのウイルスに感染した時には、ワクチンを打っていない場合よりも病気の進行が早くかつ重篤になる可能性があるということです。(エボラ出血熱やデング熱、COVID19とは別のコロナウイルス感染症であるSARSやMERSの原因ウイルスでも同じ現象が起こることが知られているようです。)
FIPV には 2 種類の血清型(I 型、II 型)が存在するが、FIPV の血清型の違いが ADE 発現にどのように影響するかについて、詳細は不明であった。そこで、SPF 猫に I 型 FIPV または II 型FIPV に対する抗体を受身免疫した後、I 型 FIPV を接種して ADE 発現の有無を調べた。その結果、I 型 FIPV に対する抗体を受身免疫した猫で ADE の発現が認められた。即ち、FIPV では同じ血清型の再感染によって ADE が発現することが明らかとなった。
出典:【日本ワックスマン財団学術奨励研究助成(H19 年度報告) 研究課題: 猫コロナウイルスの抗体介在性感染増強作用に関する研究 】より
上記の研究によってもFIPウイルス感染ではADEが認められることが示されています。
期待の膨らむGS-5734(レムデシビル)
現在、GS-5734(レムデシビル)という薬が、COVID-19に対する治療薬としての治験が開始されることが話題になっています
ギリアド・サイエンシズ株式会社 プレスリリース2020年2月27日
GS-5734はGS-441524の誘導体であり、人への投与後体内で代謝され、薬としての活性を持つGS-441524になります。ウイルスのRNA合成を阻害してウイルスの増殖を止める薬です。
GS-5734はもともと、エボラ出血熱(コロナと同じRNAウィルス)に対する治療薬として研究されていましたが、エボラ出血熱に対しては現在はより効果の高い薬が開発されています。
一方で、GS-5734は投与された人や動物に対しての安全性が高く、COVID-19と同じコロナウイルスによる感染症である(MERSやSARS)などにも高い効果があるそうです。
猫コロナウイルスに対してもGS-5734はGS-441524と同様に効果が認められるそうですが、FIP治療に対する研究は、化学合成する過程がより簡単なGS-441524で行われているようです。
GS-441524の特許はギリアド社が保有しており、ギリアド社はGS-5734がFDA(アメリカ食品医薬品局)の承認を得るまではGS-441524を他社に供給しないとしています。
ギリアド社のそのような姿勢に対し、アメリカではギリアド社に対して、特許の公開など、猫への人道的支援を求める愛猫家によるSNSグループもあるそうです。
※現在、GS-441524は非正規品で入手できるものだけとなっています。
いずれにせよ、コロナウイルスは猫だけでなく、人間にとっても対策をすべきウイルスだということですね(監修者注:猫コロナウイルスとCOVID-19の新型コロナウイルスやSARSウイルスは別のウイルスです)。
ということは、お互いの研究がお互いを助けるということです。人間のCOVID-19の治療のためにGS-5734の治験はとても重要なことは当然なのですが、その結果がFIPの治療薬の開発にも役立てられるかもしれません。ぜひ猫も人間もいっしょに健康になっていきたいですね!
【FIP治療薬として非正規に出回っている薬についての補足】
GS-441524は非正規にしか入手できない、と記事内にも説明されていますが、GC 376という薬も同様です。GC 376はアメリカのUniversity of Kansas(カンザス州立大学)が特許を持っている、ウイルスのたんぱく質合成を阻害してウイルスの増殖を止める薬です。
両者ともFDAの認可をまだ受けていない薬なのですが、比較的合成が簡単な化合物であるために、いくつかのメーカーが製造し、非合法にFIPの猫を助けようとする猫の飼い主に売られています。
また、表向きは研究用の試薬として販売されているものをFIP治療の目的で購入している飼い主さんもいるようです(いずれもアメリカでの報告)。
これら、薬として承認されていないGS-441524やGC 376を治療目的に使用することにはリスクが伴いますが、FIPの治療にかなりの効果があることも事実のようであり、獣医師や研究者の間でも様々な議論があります。(GS-441524やGC 376のFIP発症猫での効果は、University of California Davis(カルフォルニア大学デイビス校)の研究者らにより確かめられています。)
GC376はGS-441524よりFIPに対する効果は劣るようですが、特許を持っているカンザス州立大学がAnivive社と協力し、現在臨床試験が進められています。
非常に高価でリスクのある非正規の薬を購入しなくても、数年以内にFIPに効果のある抗ウイルス薬が利用できるようになるかもしれません。
≪GS-441524とGC376に関する、アメリカの獣医師向けニュース≫
≪カリフォルニア大学デーイビス校のFIPについての研究≫
https://ccah.vetmed.ucdavis.edu/cats/resources/feline-infectious-peritonitis-clinical-trials
≪カリフォルニア大学デーイビス校のFIPについての研究≫
https://ccah.vetmed.ucdavis.edu/cats/resources/feline-infectious-peritonitis-clinical-trials
≪GS 376の効果についての論文≫
Pedersen NC, Kim Y, Liu H, et al. Efficacy of a 3C-like protease inhibitor in treating various forms of acquired feline infectious peritonitis. J Feline Med Surg. 2018;20(4):378–392. doi:10.1177/1098612X17729626
≪GS-441524の効果についての論文≫
Pedersen NC, Perron M, Bannasch M, et al. Efficacy and safety of the nucleoside analog GS-441524 for treatment of cats with naturally occurring feline infectious peritonitis. J Feline Med Surg. 2019;21(4):271–281. doi:10.1177/1098612X19825701
≪GC 376の臨床試験に関する記事≫
【猫コロナウイルスとFIPについての説明】
猫コロナウイルスは世界中で広く健康な猫の腸に感染しているウイルスで、多くの場合猫は何の症状も示さないか軽い消化器症状を示す程度です(重篤な下痢などを示す場合もあるようです)。
しかし、ウイルスが変異してマクロファージという免役細胞に感染できるようになって強い病原性を持つと、猫伝染性腹膜炎(FIP: feline infectious peritonitis)という、確立された治療法のない死亡率の非常に高い病気を引き起こすことがあります。
FIPの発症には、ウイルスの変異と猫の免疫力の両方がかかわっていることも最近分かってきました。
【ADEについての補足】
ADEは実験的にウイルスを細胞に感染させた場合に見られる現象で、実際に猫や人間がそのウイルスによる感染症を発症した場合には問題とならないと主張する研究者と、猫や人間における実際の感染症の場合にもADEによる感染の重篤化が起こっている場合がある、と主張する研究者がいます。
【FIPワクチンについての補足】
アメリカやヨーロッパで発売されているワクチンがありますが、その有効性には疑問が持たれています。また接種できる猫、有効性が期待できる猫も限定的です。
ワクチンの安全性についても、ADEを起こさないように作られていて安全だと考えている研究者と、ワクチンを打った猫ではより症状が重くなり進行が早かったと主張する研究者がいます。
コロナウイルスに対するワクチン開発の難しさは、ADEによるところだけではなく、コロナウイルスが変異しやすいウイルスであることと、健康な猫が同じウイルスを持っていることが多いことにも関係しています。
悪さをしない猫コロナウイルスとFIPを引き起こす猫コロナウイルスは別種のウイルスだと考えられていた時期もありますが、現在では両者は同じウイルスだと考えられています。
【猫コロナウイルスのタイプについての補足】
記事内の引用文に、FIPウイルスには2つの血清型(I型とII型)があることが説明されていますが、この血清型とFIPの症状のタイプ(ドライタイプとウェットタイプ)には関係がありません。
猫コロナウイルス自体にI型とII型の2つのタイプがあり、どちらもFIPへと変化する可能性があります。世界中で見られる猫に感染している猫コロナウイルスは、ほとんどがI型です。