国内外で高まる「再生医療」への期待とペット医療への応用
2006年に、マウスiPS細胞の技術が山中伸弥先生から発表され[1]、翌年2007年にはヒトiPS細胞の樹立を発表され[2]、国内外において「再生医療」への期待が高まったことは皆さんもよくご存知かと思います。
ですが、当時としては新しい技術であったため、誰もがすぐにその治療を受けられる段階ではありませんでした。
2013年に「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」(医薬品医療機器等法)という法律が改定されました[3]。
この法律は、薬・化粧品・医療機器・再生医療について、国民が安全に再生医療を受けられるようにルールを定める法律です。じつはこの時「動物の再生医療」についてもこの法律で触れられていました。
私はこの法律が制定される前から再生医療分野にかかわってきました。2005年~2006年にかけて、英国でヒトES細胞の培養を行い、その後帰国して2008年から厚生労働省管轄の独立行政法人の研究所で研究を行っていました。
その縁もあり、厚生労働省の臨床研究調査業務委員会や文部科学省科学技術・学術審議会 幹細胞・再生医学戦略作業部会などの委員をしていましたが、この法律に「動物の再生医療」が入っていたことに、気が付いていませんでした。
先日の記事を書いていた時に、万一、一緒に暮らしている愛猫が慢性腎臓病になってしまったら「どうしたらいいのだろうか…」と不安になって調べてみました。すると、すでに動物の再生医療が始まっていることを知りました。大変反省しています。
そこで今回は「動物の再生医療」の現状について、いろいろと調べてみました。
再生医療で使われる「幹細胞」ってどんなもの?
「幹細胞」と聞くと「病気の治療に使える万能な細胞」と思う方もいるかもしれませんが、実は幹細胞にはいろいろな種類があり性質も様々です。
人工多能性幹細胞
山中先生が発明されたiPS細胞は、人工多能性幹細胞Induced pluripotent stem (iPS)と言われるもので、体のあらゆる組織に分化する可能性のある細胞にするために、大人の細胞に遺伝子を入れて加工した細胞です。
このiPS細胞は、受精卵から取り出してシャーレの中で増える胚性幹細胞(ES細胞)と言われるものと性質はほとんど同じものです。これらの細胞は大人の体の中には存在しません。
間葉系幹細胞
間葉系幹細胞(mesenchymal stem cell:MSC)というのは大人の体の中にも存在します[5]。骨髄、脂肪組織、胎盤、臍帯、歯髄などに含まれています。
この間葉系幹細胞は、iPS細胞やES細胞とは異なり、骨、脂肪、軟骨、筋肉の細胞にしか分化しません。研究レベルではそれ以外の様々な細胞に分化することも報告されていますが、大変難しく、一般的ではありません。
以前は、この間葉系幹細胞を分化させて治療に使う研究が進められていましたが、近年は、この細胞が分泌する様々な因子に効果があることが少しずつわかってきました。
ヒトでは、間葉系幹細胞の再生医療用等製品として、ステラミック注(ニプロ株式会社)、テムセルHS注(JCRファーマ株式会社)、アロフィセル注(武田薬品工業株式会社)が承認されています[6]。
動物の再生医療で使われるのはどんな薬?
再生医療で、実際にどんな治療や薬が使われているのか、気になる方もいると思います。再生医療では、『再生医療等製品』と呼ばれる薬が使用されます。
医薬品医療機器等法という法律の中に、「再生医療等製品」とはどのようなものかが記載されています[3]。
法律の文章は読みにくいので、文章を分かりやすく記載すると、
①医療又は獣医療に使用されることが目的として、人又は動物の細胞に培養その他の加工を施したもの
②人又は動物の疾病の治療に使用されることが目的として、人又は動物の細胞に導入され、これらの体内で発現する遺伝子を含有させたもの
このように説明されています。
①は、
(1)人又は動物の身体の構造又は機能の再建、修復又は形成
(2)人又は動物の疾病の治療又は予防
を目的とするものと、されています。
再生医療で使われる製品には次のようなものがあります。
組織工学製品
「細胞」から「組織」にしたものを患者へ移植するものです。人又は動物の身体の構造又は機能の再建、修復又は形成することを目的とする製品にあたります。
細胞治療製品
細胞を体に投与して治療するものです。人又は動物の疾病の治療又は予防することを目的とする製品です。
遺伝子治療薬
人又は動物の細胞に導入されこれらの体内で発現する遺伝子を含有させた薬になります。
世界初!動物用の再生医療製品「ステムキュア」
現在、動物用再生医療製品は、DSファーマアニマルヘルス株式会社から販売されている犬の脂肪組織由来間葉系幹細胞「ステムキュア®」が唯一の製品とのことです。
なんと「世界初!」だそうです。
「ステムキュア®は、犬(同種)脂肪組織由来間葉系幹細胞を主成分とする世界初の動物用再生医療等製品として、2021年3月に医薬品医療機器等法に基づき、製造販売の承認を得た製品」とのことです。犬の胸腰部椎間板ヘルニアの治療薬として使うことができます。
少し難しいですね。
つまり、病気のワンちゃんではなく、他の犬の脂肪から間葉系幹細胞という幹細胞を取り出して、シャーレで増やしたものを凍らせておき、病院でそれを解凍して、ヘルニアのワンちゃんに注射で入れる、というものです。
DSファーマアニマルヘルス株式会社は、2010年から下のような活動で、この製品を開発されてきたようです。
- 2010年 大日本住友製薬株式会社の動物薬事業部門から会社分割の手続きを経て設立
- 2015年 動物用再生医療製品の研究に着手
- 2016年 動物用細胞医薬品の早期事業化に向け「池田動物細胞医薬センター」を開設
- 2018年 犬を対象にした同種由来間葉系幹細胞製剤の治験開始
- 2019年 犬(同種)脂肪組織由来間葉系幹細胞注射液 製造販売承認申請
- 2021年 犬(同種)脂肪組織由来間葉系幹細胞注射液ステムキュア 製造販売承認
ステムキュア®について、治験期間中に安全性や治療効果についてまとめられています[4]。
安全性についての試験結果においては、6匹のビーグル犬に7日間隔で合計4回投与して、検査を行って確認されています。本来投与する量の5倍量を入れても、大きな異常な症状は見られないことから安全性には問題ないと考えられます。
治療効果についての試験結果においては、9例のうち「有効」と判定されたのは2例のようです。残りの7例は「無効」と評価されたのですが、このうち6例では、臨床症状の改善が認められとのことです。
治療効果の判定は厳密に解析されるため、効果判定の対象とならなかった19例についても、投与後、なんらかの臨床症状が改善したことが確認されています。
再生医療を受けられるのはワンちゃんだけ?
動物用再生医療製品ステムキュア®は、犬のヘルニアのための治療薬だけで、猫は治療を受けられないのでしょうか?
論文を調査できていないのですが、間葉系幹細胞は、他の動物に移植しても効果があることが報告されていると聞いています。犬の間葉系幹細胞を猫に投与することも可能だと思われます。
ですが、まだ、安全性などが確認されていません。将来、もしかしたら、使えるようになるかもしれません。待ち遠しいです。
法律では、動物用再生医療等製品の製造および輸入は許可を受けた者でなければ、作ってはいけないことになっています[7]。
ですが、例外も認められています。獣医師又は飼育動物診療施設の開設者が動物の疾病の治療又は予防の目的で使用するために再生医療等製品の製造または輸入をする場合は、上記の製造許可はなくても実施は可能とされています。
従来の治療法では十分に効果がなく、飼い主の同意を得て、安全に細胞を作ることができる場合には、再生医療を行うことが可能です。
つまり、獣医師が病気のネコちゃんから間葉系幹細胞を取り出し、その院内で獣医師が安全に細胞を増やして、ネコちゃんに戻すというものです。実際に、動物病院で実施されているところもあるようです。
細胞を増やすのは大変
動物病院内で、先生が自ら安全に細胞をシャーレで増やす(培養)のは、大変な労力と設備と高額な費用が必要と、推察します。というのは、私は、ヒトの幹細胞を培養することを専門としていました。細胞は自分でご飯を食べてくれませんので、細胞用の栄養を2日に一度、あるいは毎日あげて世話をしなくてはなりません。
細胞を培養している間は、休日などはありません。機器や設備も専用のものが必要です。さらに、再生医療用にするためには、その材料も十分吟味し、毒になるものがはいっていないか、細菌やウィルスが感染していないか、など、様々な安全性を確認する必要があります。
こんなに大変では、誰もがどこでも治療を受けるというわけにはいきそうもありません。とはいえ、実際に臨床で研究が進められないと、治療法も発展しません。
新しい取り組み
2019年に、農林水産大臣・経済産業大臣の認可を受けて、動物再生医療技術組合という非営利共益法人が設立されています[7]。
企業、大学、独立行政法人が連携して、未だ確立されていないイヌやネコの細胞治療サービスの各プロセスを標準化し、あらゆる診療施設の獣医師が、安全かつ有効な細胞治療サービスを提供できる仕組みを実用化することを目的とする、と記載されています。
法律では、獣医師又は動物病院の開設者が、自ら細胞を作る、あるいは、輸入する場合に限って細胞治療ができることになっています。しかし、臨床研究に参加するのであれば、自らが細胞を作らなくても使用が可能のようです。
そのため、この組合においては、臨床研究に参加するという方法で、動物病院で細胞培養施設を所有しなくとも自院で見ている病気の犬や猫に対して、細胞投与が可能となっているようです。
どんな病気でもというわけではなく、治療の対象となるものは限定されているようです。どんな病気を対象としているかは、ホームページに記載されていました。
興味のある方は下記ホームページを覗いてみてはいかがでしょうか。
動物再生医療技術研究組合
まとめ
この分野は始まったばかりです。まだまだ研究段階ですが、確実に進歩しているようです。また機会があれば、もう少し詳しく調べてご説明できればと思います。
これまで治らなかった病気が、様々な治療法の開発が進むことにより、多くの猫が元気で長生きしてくれるようになることを願っています。
参考資料
[1]Takahashi K, Yamanaka S. Induction of pluripotent stem cells from mouse embryonic and adult fibroblast cultures by defined factors. Cell. 2006 Aug 25;126(4):663-76. doi: 10.1016/j.cell.2006.07.024. Epub 2006 Aug 10. PMID: 16904174.
[2]Takahashi K, Tanabe K, Ohnuki M, Narita M, Ichisaka T, Tomoda K, Yamanaka S. Induction of pluripotent stem cells from adult human fibroblasts by defined factors. Cell. 2007 Nov 30;131(5):861-72. doi: 10.1016/j.cell.2007.11.019. PMID: 18035408.
[3]医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律 https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=335AC0000000145
[4]動物用再生医療製品ステムキュア® パンフレット DSファーマアニマルヘルス株式会社
[5]Mimura S, Kimura N, Hirata M, Tateyama D, Hayashida M, Umezawa A, Kohara A, Nikawa H, Okamoto T, Furue MK. Growth factor-defined culture medium for human mesenchymal stem cells. Int J Dev Biol. 2011;55(2):181-7. doi: 10.1387/ijdb.103232sm. PMID: 21305471.
[6]新再生医療等製品の承認品目一覧 https://www.pmda.go.jp/review-services/drug-reviews/review-information/ctp/0004.html
[7]動物用再生医療等製品の製造管理及び品質管理に関する省令 https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=426M60000200062_20210801_503M60000200045
動物用医薬品等に関する法令・通知等https://www.maff.go.jp/nval/hourei_tuuti/index.html
幹細胞研究者としてヒトES/iPS細胞や間葉系幹細胞の研究やビジネス化に従事。2022年1月からベンチャー企業・株式会社セルミミックの代表として、ライフサイエンスからライフスタイルまでのコーディネートおよびコンサルタントを行う。著書「本当に知ってる? 細胞を培養する方法(出版社 : じほう)」
《twitter》@mihofurue