段ボール箱に入れられて兄弟たちと一緒に公園に捨てられていた子猫

段ボール箱に入れられて兄弟たちと一緒に公園に捨てられていた子猫

私がニューヨーク在住中に保護した猫は全部で7匹。最初に保護した猫は段ボール箱に入れられて公園に捨てられていた子猫でした。

捨て猫との出逢い

道を歩く白い猫

それは今からもう25年以上も前のことになりますが、その日のことは今でもはっきりと覚えています。私は友人が別のアパートに引っ越すというので手伝いに行きました。これは、ニューヨーク市クィーンズ区での出来事です。

引っ越しのためのレンタカーを取りに行った人が戻って来るまでかなり時間があったので、「新しいアパートの下見に行こうか?!」という話になり、友人たちと一緒に新しいアパート目指して歩いていた時のことです。

大きな公園の側を通った時、子供たちが芝生の上に置かれた段ボール箱を囲んで何やらのぞき込んでいた光景が気になった私は「どうしたの?」と近寄って声をかけました。

すると、そのうちの1人が「子猫が捨てられているの。誰か拾ってくれないかと私たちで番をしているの。」

段ボール箱の中には黄色い縞模様の子猫たちが4匹入っていました。たぶんもう乳離れはしているだろう大きさでした。

猫好きだった私はそのうちの1匹を抱こうとしたのですが、その子猫の足が箱の中に置いてあったミルクに引っかかってしまい、ミルクが別の子猫の体にかかってしまいました。

「あら、ごめんなさい!」と持っていたタオルで拭いてやったのですが、その子の体は明らかにミルク臭くなってしまいました。でも、それ以上、私にはどうすることもできません。

「誰か、もらってくれるといいね!」と子供たちに声をかけてその場を離れ、目的地だった友人の引っ越し先となるアパートを目指して歩きだしました。

引っ越し先のアパートは、3ベッドルームととても広く、大学生になったばかりの友人はその部屋を他の学生たちとシェアすると言っていました。

一通り部屋を見せてもらい、そろそろレンタカーを取りに行ってた人が戻ってくるだろと再び来た道を戻ることにしました。

すると、あの公園ではまだ子供たちが段ボール箱を取り囲んでいました。あれから既に1時間は経っていました。

私は再び、子供たちに声をかけました。「どう?子猫、もらわれた?」

すると子供の1人が「うん、3匹は貰い手がついたんだけど、この1匹だけが誰ももらってくれないの。他の子たちは人懐っこかったんだけど、この子だけは臆病で震えてるから…みんなこの子を避けたんだ…」

見ると残っていた1匹は、私が先ほどミルクをかけてしまったあの子でした。もしかして、ミルク臭くなったことで、貰い手がつかないのかもしれない…

「私たち、もうお家に戻らなきゃいけないから、本当に困っているの。家はすぐそこなんだけど、連れて帰ったらダメだってお母さんに言われてるし、この子だけをここに置いておくのはかわいそうだし…」

心配して子猫たちのために長い時間見守り続けていた子供たちに対する同情とミルクをかけてしまった負い目から、私は「じゃぁ、私がもらってあげる!」とつい言ってしまったのです。

子供たちは「本当!ありがとう!!」と大喜びしました。

でも、私はこれから友人の引っ越しを手伝う身…怯えきった子猫をどうする?もちろん、この時点で猫に必要な物は一切持ち合わせていませんでしたし、猫を入れるキャリーケースすら持っていませんでした。

しかたなく、私は震えてニャーニャー鳴いている子猫を自分の着ていたジャケットでくるんで、友人のアパートに戻りました。

そこで、友人が靴箱を1つ渡してくれて「引っ越しの手伝いはいいから。子猫をこの中に入れてもう帰っていいよ!」と言ってくれたのです。

もちろん、私は「ありがとう!!」と即答でした。もう引っ越しのことより、子猫のことで頭がいっぱいになっていたのです。

子猫との生活

子猫

子猫をもらった靴箱に入れ、私は自分のアパートに戻るために地下鉄に乗りました。

子猫は箱の中で大人しくしていました。時々、箱の蓋を押し開け、辺りの様子をうかがうように顔を出したりしていました。その様子がたまらなく可愛かったのを思い出します。

私の住んでいたアパートは、ペット厳禁でした。でも、隣のアパートの1階に住んでいた大家さん自体が猫を飼っていたので、いいだろうというような安易な気持ちしか、当時のまだ若かった私にはありませんでした。

子猫をアパートに連れて帰り、一旦猫を部屋に置いて、その後、キャットフードやトイレの容器と猫砂を購入してきました。

名前は”メアリー”と付けました。

メアリーは人慣れしておらず、とても臆病な猫でした。新しい環境に中々慣れなくて、いつも部屋のどこかに隠れていました。

1週間経ってもその状態が続き、私はとても不安な気持ちになってきました。このままもしかして、この子は私に慣れないんではないか…と。

でも、そのうち徐々になついてくれ、最終的にこの子は私のそれまでの人生の中で一番長く一緒に過ごした子になりました。

人生で最も長く一緒にいた猫

老人と猫

その後24年間もの長き歳月、メアリーは私とずっと一緒にいたのです。それは私の親をも超える歳月でした。その後生まれた私の息子がその記録を破ることになりましたが…。

メアリーはある程度成長した段階で捨てられたので、たぶん母猫のお乳をしっかりと飲んでいたんだと思います。免疫力がとても強く、24年のメアリーの猫生の間、病気になったのはたったの1度でした。

四半世紀もの長き猫生を過ごしたメアリーが動物病院に行ったのはたったの3回でした。

1回目は、避妊手術をした時で、2回目はメアリーが20歳くらいの時でした。食欲がなくとても弱ってきたので、獣医さんに栄養注射をしてもらいました。

その時、獣医さんはこう言いました。「永遠というものはこの世の中に1つも存在しないんだよ。」

それは、メアリーが永遠に生きられるわけではないから…という獣医さんから私への遠回しのメッセージでした。

それでも私は「栄養注射を1本打ってください。それでだめだったら諦めます…」と言って、そんなことをしてももう歳のメアリーが回復することはない、無駄だと言う獣医さんを説得したのです。

私はかつて日本で飼っていた愛犬が年老いて弱ってきたとき、獣医さんが栄養注射をしてくれたおかげで愛犬が再び元気を取り戻したという体験をしていました。それで、メアリーもきっと復活すると勝手に信じていたのです。

でも、私のその思い込みは結果的には正しかったと言えます。なんの医学的根拠もありませんが…

メアリーは栄養注射をうってもらった後に、再び元気を取り戻し、その後4年間も生きたのです。

別れの時

寝ている猫

しかし、24歳となったある朝のこと、2階で寝ていた私と夫に報せるように、1階で寝ていたメアリーが異様な声でワォ~ワォ~と鳴きだしました。

夫は私にこう言いました「その時が来たのかもしれない…」と。

顔を見合わせた私たちはベッドから飛び起き、急いで1階へと降りていきました。ただならぬ騒々しさに、1階の部屋で寝ていた息子も起き出してきて、家族3人、メアリ―の元へと集まりました。

「どうしたの?メアリー…」

私はやせ細った彼女の体をそっと抱えて、彼女がいつも寝床にしていた大き目の椅子の上に寝かせました。その周りを家族3人で取り囲みメアリーの様子をジッと見ていました。

メアリーは、虹の橋へ旅立とうとしていました。息遣いがだんだん荒くなり、そして痙攣したかと思うと…そのまま息を引き取りました。

とても悲しかったけど、家族3人に見守られての大往生でした。

目が開いたままになっていたので、夫がメアリーの目をそっと閉じさせてくれました。

そして、メアリーがお気に入りだった夫のトレーナーで亡骸をくるみ、再び椅子の上で寝かせ、しばらくそのままにしておきました。

もしかしたら、息を吹き返すのではないかという儚い願いがあったからです。

でも、当然なんですが、その気配はなく、数時間後に庭に埋葬することになりました。

夫が深い穴を掘ってくれ、私が庭に落ちていた枯れ葉をかき集め、その穴の中に敷き詰めて、夫のトレーナーにくるまれたメアリーをそっと寝かせました。

どんな状況になっても猫と生きる、ということ

段ボールに入った猫

私は、メアリーを連れて2度お引越しをしていました。

メアリーを保護して以来次々と子猫の保護が続いてしまい、メアリーを含めて保護猫が5匹になってしまったため1ベッドルームから3ベッドルームのアパートへ。そして、一軒家へと引っ越していました。最終的となった一軒家は持ち家でした。なので、その庭に埋葬することができました。そうすることで、毎日、お参りができました。

メアリーは本当に優しい猫でした。その後、次々と私が保護した子猫たちのお母さん変わりになってくれ、子猫たちのことを可愛がってくれました。

メアリーと過ごした日々は、私にとってもとても幸せな日々となりました。といっても、私はその24年間の間に、離婚、シングルマザー、再婚と人生が目まぐるしく変化しましたし、2回も5匹の猫を連れて引っ越しましたし…

でも、1度も猫たちを手放そうと思ったことはありません。

たとえ離婚しても、シングルマザーになっても、再婚しても、猫たちと一緒に暮らすことが私の最優先される条件でした。お引越しの時もそうでした。

だって、彼らの命は飼い主である私にすべてかかっていたのですから。捨て猫だった彼らを拾った瞬間から、最後まで責任もって面倒看ることは当然なのですから。

最後に

シャボン玉に手を伸ばす猫

世間では、子供が生まれたり、離婚したり、再婚したり、引っ越したりと自分の環境が変わることで、それまで一緒に暮らしていた家族でもあるペットたちを捨てたりする飼い主さんがたくさんいますが、どうしてそんなことができるのか…私には理解できません。

私は目の前に現れた助けを必要としていた猫たちを助け最後まで一緒に暮らしました。でも、みんながみんなそうではないことは判っています。

しかし、何かあって途中で捨てるのであれば、最初から飼わないでほしいです。そして、産まれた命を育てられないのであれば、最初から避妊・去勢してほしいです。

犬や猫、動物たちは物とは違います。愛玩動物と日本では呼ばれていますが、それは違うと私は思います。ペットとして飼うという考え方ではなく、”その命を家族に迎え入れるのだ”と考えていただけたら…途中放棄はきっとできないはず…

違いますか?

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