私が理想とする愛猫との関係性
猫とこんないい関係が築けたらと思うことをお話します。
意思疎通できる仲
私の理想は、愛猫と飼い主の意思疎通です。もしも意思疎通できるようになったら、お互いに気持ちを理解し合い言葉が通じなくても、上手く寄り添えるようになるのではないでしょうか?お互いを気遣い、時には配慮し合えるのが理想のカタチです。
信頼関係を築く
信頼関係は、人間同士でも長年積み重ねてやっとを築けるものですよね。ましてや猫と人間では、言葉も通じない、習性も違う者同士。
でも信頼関係を築くのは決して不可能なことではないと思っています。多少の困難があっても簡単には切れないくらいの強い絆を結べば、お互いに信じ合える関係性を築けるのではないでしょうか。
心身共に癒される
私の中で猫は、私の人生を守ってくれている存在です。少し大袈裟に言ってしまいましたが、猫がいるから頑張れると言うことです。
家で癒しの猫が待っていてくれるのは、理想と言う名の現実です。疲れている時、気力をなくした時、寂しく思う時…様々な負の感情を持った時、猫が心身共に癒してくれているに違いありません。「愛猫がいるから頑張れる」「愛猫の為に頑張ろう」と言う活力へと導いてくれているのでしょう。
一定の距離を守る
私が考える愛猫との距離は、信頼関係がある上での、つかず離れず。私にも愛猫にも自分のペースがあります。それを崩されるのは、お互いにとって窮屈に思う事もあります。
私が忙しい時や、何かに集中している時に「相手しろにゃ」としつこくされるとペースが乱れます。反対に、愛猫がおひとり様気分でいたいのを「構ってよ」と邪魔されると迷惑に感じてしまうのです。
一定の距離を守れる関係を保つ事が理想であり、自己主張をおさえなければ、成り立たないのでしょう。
猫の理想と現実
態度を変えない猫
飼い主が猫に理想を並べても、現実は思い通りにいきません。猫にしつけができないと言われているのは、単独行動のマイペースな生き物だから。集団で行動をする犬とは正反対で、猫は自らの判断で行動をしています。
人間に服従する、上下関係の位置づけなどと言う考えはありません。犬は人間の前で態度を変えると言いますが、猫は人間の前でも態度を変えることはないそうです。他の猫に見せる行動と同じ行動をするのが猫の生き方なのでしょう。
頭が良すぎる猫
猫は、我々が思っている以上に賢い生き物です。飼い主が猫を飼っているのではなく、むしろ飼われているのかもしれません。
猫が部屋の中でイタズラをしたり、あらゆる場所で爪とぎするのは、猫の本能からくるものです。「あれダメ!これダメ!」と猫を叱りつけても言うこと聞いてくれませんよね。
しかし猫のイタズラには、本能とは別に飼い主への要求がある場合も。猫は飼い主の行動する音を記憶しています。飼い主を自分の方に向かせる時に「この音に反応する」と言う事を学び使い分けます。人間からすれば、子供のような行動に思うかも知れませんが、小さな脳の猫が「人間を操れる才能を持っている」と考えると凄いですよね。
猫が人間を選ぶ
猫と飼い主の理想のカタチは、猫に選ばれてから初めて作れるのかもしれません。猫は飼い主を選べませんが、絆を深めるきっかけは猫が作っているのでしょう。
猫が良い関係性を築きやすいのは、猫と同じ立場でいられる飼い主のようです。猫と視線の高さを合わせる、猫がアピールしてきた時に構うといった基本的なことが事がクリア出来れば、「もっと信頼関係を深めたい」と猫が思ってくれるのでしょう。ご飯が欲しい時にだけ甘える猫と、ご飯以外でも甘えてくる猫がいますが、どちらも猫との関係が成り立っていないと有り得ない話なのです。
猫に見返りを求めてはいけない
猫を飼う人が増えてきたのは、少子化問題も関係があるでしょう。少子化が進み、家族と呼べる人が減ったり、愛情を注ぐ相手がいないなどと言う理由から、愛情を猫に求めてしまうのでしょう。
ただ猫は、我が子のように尽くし育てても、人間のように愛情を返してくれるとは限りません。どれだけお世話しても、それが性質ゆえに変える事が出来ない場合もあります。懐かない猫、よそよそしい猫、気分屋な猫、逃げてしまう猫など生まれ持った性格や、猫特有の習性がそれぞれあります。
どれだけ愛情を注いでも、猫に見返りの愛を求めてはいけないのでしょう。人間が一方的に愛を注いでいるのを幸せに感じないと、見返りのない愛は成立しないですね。
まとめ
私が考える愛猫と飼い主の理想のカタチについて紹介しました。最近では、昔と比べて猫を家族扱いしている人が増えましたよね。私もその一人です。
昔のように「猫はただのペット」なんて言うと、今では冷ややかな目で見られるのではないでしょうか?それくらい猫と飼い主の関係は深くなっていると言えます。
現実の猫は、人間が思う理想とは違いますが、人に懐いてくれるし、絆を結べる生き物といえるのではないでしょうか?