幸せを運んできた子猫
出会い
去年の6月。お庭のアジサイが満開だった頃、お買い物の帰り道に、細い裏道で走らせていた私の車を停めたのは、子猫でした。
5、6匹は、いたでしょうか?道路の真ん中でかたまっていたのです。クラクションを鳴らしても、逃げません。仕方なく、車を降りて近づくと、蜘蛛の子を散らすように、逃げて行きました。おしっこを漏らして、恐怖のあまりにかたまって動けない一匹を残して。
それが、哲郎君との出会いだったのです。
子猫を連れて帰る
動けない子猫を、うっかりと掴み上げてしまいました。本当なら道の端にそのまま置いて行くつもりでした。というのも、私の主人は猫嫌いだったのです。
主人が嫌いだからでしょうか?猫が主人を嫌いだからでしょうか?散歩中でも、道で会う猫にすら、シャーッ!と、キバを向かれてしまうほどなのです。
親猫の姿は見えませんが、近くには居るはずです。今、この子猫を離せば、きっと、親猫が迎えに来てくれるでしょう。
でも、私の臭いが付いた子猫を親猫が迎えに来るでしょうか?親猫が迎えに来ても、夏に生まれた野良猫の子猫が冬を越せるでしょうか?
ここでいくら悩んでも、答えは出ない事だけは、わかっていました。掴み上げた子猫を、買い物袋に突っ込んで、家に帰りました。
猫と暮らす幸せ
とりあえず連れて帰ろう。そして、新しい飼い主を探そう。それまで、しばらくの間だけ、玄関に置いてもらおう。
仕事から帰って来た主人は、玄関でちょっと固まりました。帰ってきた我が家に入ろうと一度は、開けた玄関の扉を、静かに一度、閉めたりしていました。もしかしたら、外で呼吸を整えていたのかもしれません。
もう一度、玄関が開いて、主人は、何も見なかった振りをして、家の中に入って来ました。かなり、混乱している様子です。
飼い主をすぐに見つけることを約束して、道で拾ってしまったいきさつを話しました。飼い主を見つける間だけなら、という約束で、しばらく子猫を家に置くことに了解がでました。
拾ってきた子猫が、主人にキバを向かなかったからかもしれません。怖がる主人に、猫を抱かせてみたその命が、主人の手の平よりずっと小さくて、あんまりにも儚げだったからかもしれません。
猫嫌いの主人が小さく一言呟きました。「こんなに小さいのになぁ、、、」
子猫と片時も離れない仲になる主人
その頃、私は、仕事が忙しく、家に帰るのが遅くなる日が続きました。つまり、拾ってきたのは私ですが、結果的に主人が世話をすることになってしまったのです。
初日は、全く鳴かず、水もミルクも口にしませんでした。玄関にダンボール箱を置いて、その中に子猫を入れて仕事に行きました。
帰ってきたら、主人が廊下にいます。子猫が寂しがって鳴くから、ずっと廊下にいたのだそうです。
次の日は、主人が廊下で子猫と遊んでいました。その次の日は、居間で、主人の肩の上で寝ていました。私は思いました。このまま、この子猫をうちの子にしても大丈夫だと。
子猫は、哲郎と名前が付けられました。主人のことが大好きで、とにかく主人の側を離れません。拾われてきて、一番不安な時に一緒にいた主人を親猫のように思っているようです。
私は、仕事で嫌な事があった時、哲郎君の事を思っている事に気がつきました。帰り道では、早く哲郎君に会いたくて、走って家路を急いでいる様子に気がつきました。
ふわふわの哲郎君に触ると、人生の全てのことが輝いているように思えました。
最後に
猫を飼う幸せとは、つまり、幸せに理由はいらないと気がつくことかもしれません。
哲郎君は、生きる事に理由を求めてはいません。哲郎君は、生きる為に生きていて、生きる欲求に正直に、そして全力なのです。
あんなに小さくて、あんなに可愛いかった子猫は、今では、すっかりオトコマエになりました。