愛猫を亡くした飼い主さんの7割が後悔
ある猫の専門サイトが行ったアンケート調査では、『愛猫を亡くした経験を持つ飼い主さんの7割が、亡くした愛猫に対して後悔の気持ちを持っている』という結果になったそうです。
具体的には、「もっとたくさん遊んであげれば良かった」「早めにセカンドオピニオンを受けていたら違う結果になっていたかも」など、「もし」とか「〜していたら」といった気持ちが多かったようです。
かくいう筆者も、愛猫のために禁煙を始めた直後に愛猫のがんが見つかり「もっと早く禁煙しておけば」と後悔しました。
ペットロスには「拒否」「怒り」「交渉」「抑うつ」「受容」という5つの過程があり、これらのステップを行きつ戻りつしながら、最終的に愛猫の死を受け入れられるようになるといわれています。
この中の「交渉」とは、悲しみを克服するために神的なものに願掛けをする段階で、「私の寿命を削って良いのであの子を生き返らせて!」といった類のものです。
さほど宗教的なものに関心がない方の場合は、「もしあの時体調が悪いことに気付いていれば」とか「もっと早く帰宅していたら」といったような、ごく現実的な「タラレバ」を次々と考えることが多いといわれています。
このペットロスの「交渉」の過程で生じる現実的な「タラレバ」こそが、愛猫を亡くした後に気付く後悔だと言えるでしょう。
愛猫を亡くしたあとに気付く後悔の例
ではここからは、愛猫を失くしたあとに飼い主さんが気づく後悔の内容についてご紹介します。
1.愛猫を病気で亡くしたことへの後悔
愛猫を病気で亡くす例は多いでしょう。その場合、病気の原因や日頃の健康管理、また看病の仕方に関する後悔が生じやすいでしょう。
- 感染症にかかったのは、自由に外に出していた自分のせいだ
- もっと看病に費やす時間を増やせばよかった
- 投薬皮下補液等の方法が悪かったので容態を急変させたのかもしれない
特に中高齢以上の猫は、「慢性腎不全」や「甲状腺機能亢進症」という病気になりやすいです。いずれも完治は難しく、生活の質を維持するための対症療法を続けることになります。その場合、自分の看病の仕方や愛猫の闘病の苦しみについての後悔が増えるでしょう。
- 長く苦しい闘病をさせずに、安楽死を選ぶべきだったのではないだろうか
- 安楽死を選択してしまったが、愛猫自身はもっと生きたかったのではないだろうか
- 闘病生活の中でも、愛猫がもっと楽しく過ごせる方法があったのではないだろうか
2.愛猫を脱走による行方不明や交通事故で亡くしたことへの後悔
元気だった愛猫が突然いなくなり帰ってこない、または交通事故で亡くなってしまったという場合は、事故を防げなかったことに対する後悔の念が大きくなるでしょう。
- もっとしっかりと脱走防止策を講じていればよかった
- 元気でいると信じてはいるものの、怖い思いをさせているのではないだろうか
- 我が家の住心地が悪かったから逃げ出したのではないだろうか
3.愛猫を家の中での事故死で亡くしたことへの後悔
家の中にいても、誤飲・転落・熱中症など、家の中でも死亡事故は起こり得ます。
- 食べてさせてはいけないものに関してもっと勉強しておけばよかった
- あんな物を出しっぱなしにしておかなければよかった
- 留守中のエアコンは、停電のリスクも考慮しておけばよかった
4.生前の愛猫への接し方に対する後悔
特に初めて猫と一緒に暮らした方は、生前の愛猫への接し方について後悔されることも多いようです。
猫の場合は犬のように「しつけ教室」といった施設が少ないことも原因かもしれません。
- 感情に任せて怒ったり叩いたりしてしまった
- 自分の子どもが生まれてからは余裕がなくなり、あまり世話ができなくなってしまった
- 仕事を優先せずに、もっと愛猫を第一に考えればよかった
後悔するのは悪いことではない
ペットロスの過程の中で「あの時こうしていれば」という後悔をすることは、決して悪いことではありません。
後悔するということは、もっとできることがあったはずだと考えることです。ただ漠然と愛猫の死を悲しむだけなら、また同じ失敗を繰り返してしまうでしょう。
しかし、過去の自分の行為や決断をしっかり悔やみ反省することで、今後似たような場面で後悔しない行為や決断を下せるようになったり、自分の弱い面を自覚して自己管理できるようになったりすることでしょう。
そして新しい猫とご縁があった場合やその後の人生において、その後悔した内容を反面教師として活かせるでしょう。
まとめ
「愛猫の死は家族の死なのだから、辛くて当たり前」といわれていますが、愛猫とご家族の関係は、家族というよりも親子の関係に近いと考えられます。つまり、「愛猫の死は我が子の死」と同じなのではないでしょうか。
親は我が子を守るもの、という意識があるため、我が子同然の愛猫を亡くせば、後悔の念に駆られるのも不思議なことではありません。
しかし、いつまでもその後悔を引きずるのではなく、その後悔を未来に活かせるように忘れないでいることも大切なのかもしれません。