繰り返す日本の猫ブーム
弥生時代以前に日本にやってきたことが分かっている猫は、何回かのブームを繰り返しながら、日本人の生活の中に溶け込んでいきました。
最初のブームと言われているのが平安時代。次が江戸時代。そして昭和のブームを経て、現在の猫ブームへとつながっています。
奈良時代の後期に中国からやってきた猫は「唐猫」と呼ばれて珍重され、首輪と紐で繋がれて、上流階級のペットとして可愛がられました。それが、平安時代の猫ブームです。
日本で初めて飼い猫に関する記録が書き残されたのも、平安時代です。それは、第59代の宇多天皇が23歳の時に書かれたものでした。
今回は、日本最初の猫日記を書かれた宇多天皇にまつわるエピソードをご紹介します。
1.宇多天皇のもとに猫がやってきた経緯
宇多天皇の父親は、第58代の光孝(こうこう)天皇です。
光孝天皇は、太宰府の次官であった源精(みなもとのくわし)から献上された黒猫を、自分のお気に入りの息子に与えました。その息子が源定省(さだみ)、後の宇多天皇です。
宇多天皇が父親から愛猫を賜った時は、皇太子ではありませんでした。それどころか皇族でもない、源氏の姓を名乗る臣下だったのです。
父親のさらに前の帝であった陽成(ようぜい)天皇の侍従だったこともありました。
光孝天皇は、「自分は中継ぎの天皇であり、皇統に野心はない」ということを表明するために、大勢の子女を臣下に降下させ、その中に源定省も含まれていたのです。
2.源定省が宇多天皇となった経緯
定省は早くから仏教に帰依し、天台諸寺で学んだ後、17歳で仏門に入ろうとしました。
しかし、「もっと世の中を見てからにしてはどうか」と母親に諭されたという程、政治には興味がなかったようです。
父親である光孝天皇が病に倒れた時には、まだ皇太子が決まっていませんでした。
当時は政治闘争の真っ最中で、藤原氏が力をつけ始めていました。
定省の母親は皇族でしたが、藤原氏ではありませんでした。しかも、定省は第七皇子でした。
ところが、光孝天皇の「(定省は)私がとても可愛がっている息子だ」という推薦の言葉によって、急遽親王へと復され、即位しました。
ちなみに、小倉百人一首の中の「君がため 春の野にいでて若菜つむ わが衣手に雪は降りつつ」というよく知られている句は、光孝天皇の作品です。
3.宇多天皇を悩ませた阿衡の紛議
前述のような時代背景でしたから、定省が宇多天皇となったときも、藤原氏の権力は日に日に大きくなっていったようです。
その中で、実質的に最高権力を持っていたのが、藤原基経(もとつね)です。
基経は関白になりたかったのですが、宇多天皇から名誉職であり実質的な仕事のない「阿衡(あこう)」に任命されたため、ストライキを起こします。
それが「阿衡の紛議」です。
解決までには1年余りの時を要し、結局宇多天皇が基経の言い分をのむかたちで和解しました。
4.宇多天皇の愛猫
宇多天皇が日記に愛猫のことを記したのは、阿衡の紛議が解決した翌年、寛平元年(889)2月6日です。
日本で初めての飼い猫の記録で、内容も猫を手に入れた経緯、色柄、仕草や飼育上の工夫点、猫の能力、自分の愛情や猫の反応など、とても細かく記載されています。
ただし、猫の名前に関する記載は見られません。
日記の記載によると、猫は漆黒のような黒猫で、体長は約45cm、体高は約18cm。伸びをすると60cmほどになったようです。
また、伏せると丸くなって足やしっぽが見えなくなるともあります。
毎日乳粥(にゅうしゅく)を与えているが、俊敏で鼠もよく捕まえると書かれています。
乳粥とは、牛乳を煎じて作った「酪」ではないかと言われており、当時は療養食や栄養食として重宝されていたようです。
宇多天皇が愛猫に「お前には私の心がわかるのだろう?」と話しかけると、猫はため息をつきながら天皇を仰ぎ見、喉を鳴らして何か言おうとしたが言葉にならなかった」という描写もあります。
宇多天皇の呼びかけに対して、愛猫はいわゆる「サイレント・ミャウ」で返事をしたのでしょうか。微笑ましい光景が目に浮かびます。
宇多天皇は、急な即位から阿衡の紛議までの受難続きの日々を、この黒猫に癒やされながら、必死に乗り切ったのかもしれません。
5.宇多天皇の晩年
宇多天皇は、寵愛した臣下の菅原道真に「息子(醍醐天皇)を頼む」といって退位し、仁和寺に出家し、法皇となりました。
結局17歳の頃の夢を果たしたことになりますが、この時はまだ31歳でした。
宇多法皇が65歳の時に、息子の醍醐天皇が崩御され、息子の死を見送ることになりました。
法皇自身は、熊野に行幸したり、皇子をもうけたり、歌合わせで活躍したりと、最後まで華やかな晩年を送ったようです。
まとめ
日本で最初の飼い猫の記録である、宇多天皇の日記、寛平御記(かんぴょうぎょき)を中心に、宇多天皇ご自身のエピソードや、愛猫だった黒猫の話をご紹介しました。
歴史の授業ではあまり触れることのない話題だったかもしれませんが、猫好きとしては、こういった側面から日本史をたどってみるのも楽しいのではないでしょうか。
猫好きの飼い主さんと愛猫との交流は、平安時代でも令和の現代でも、根本的には変わらないようです。