私に猫の魅力を教えてくれた。拾われ猫「千代」との出会い

私に猫の魅力を教えてくれた。拾われ猫「千代」との出会い

犬と一緒に暮らした経験しかない私たち家族は、「猫を飼うことは一生ない」と思っていました。そんな私達は、ある冬の日、道端に倒れ、動かない一匹の猫を助けました。それが拾われ猫、千代との出会いでした。

拾われ猫「千代」との出会い

132072460 道にいる捨て猫

私が「千代」と運命的な出会いを果たしたのは、2月の下旬頃。寒さが残る、冷たい夜の出来事でした。

時間は確か夜の9時を少し回ったぐらい。真っ暗な田舎道を走る私たちの車の先には、降りしきる雨をライトが照らし、雨粒の形がしっかりと見えました。フロントガラスには、凍てつきそうな雨粒がひっきりなしに降りかかっていて、見通しが悪く運転しにくい夜だったのを覚えています。

その田舎道の途中には、乳牛の牧舎があり、そこには数匹の猫が住み着いていました。田舎なのでイタチや野ネズミなど野生の動物も多く、それらの野生動物や猫が「車に轢かれている」場面に遭遇する事も少なくありませんでした。

ふと、雨で濡れるフロントガラスの向こう側に見える道路のど真ん中に、何か小さな動物が横たわっているのが見えました。私は「また、猫が車に轢かれてるな…」と少し暗い気持ちになりながら、緩めのブレーキをかけてスピードを落としました。

(…あんな場所で死んじゃったら、どんどん車に轢かれて、亡骸がひどい事になるだろうな…)
ふと、そう思った私は、何故かその「猫らしき亡骸」を見過ごせなかったのです。「せめて道の端に寄せてあげよう」と思い、私は車を降りました。

「ずぶぬれだし、血まみれかも知れないなあ」と思いながら、車のライトで道路の上の亡骸を照らしました。

車から降り、その「亡骸」に近づいてみると、なんと、その亡骸と思っていた猫が、首だけを「ぬっ」と持ち上げて、私の方を見つめたのです。驚きながらも、ハッキリと目が合った所で、その猫が額のハチワレが特徴的な「キジ猫」である事に気が付きました。

その時私は、後に家族となる「千代」と、運命的な出会いを果たしたのです。

「せめて、温かいところで旅立たせてあげよう」と名無しのまま保護

拾った直後の起き上がれない千代

保護した直後は全身ずぶぬれで、雨ざらしだったためか、体からは悪臭を放ち、冷えていたためか、全身硬直して、四肢は全く動きませんでした。意識はあるけれど、体はまるで「死後硬直」しているような状態でした。

「この様子だと、恐らく助けても長くは生きられないだろう」と、思ったものの、何も手当しないワケにもいかないと思い、直ぐに深夜でも診察してくれる動物病院へ向かいました。

診察の結果は、「心臓も弱っているし、体温も34度を切っています。足がマヒしているのは原因が分からないけれど、もし、脊髄などを損傷していたり、脳に障害があったりしたのなら、一生歩けません。」とのことでした。

「立つことも歩くことも出来ないのなら、安楽死も視野に入れる方がいい」と、若い獣医さんは言いました。

しかし、その猫は首を「ぬっ」と持ち上げ、私の顔を見つめました。まるで、最後の力を振り絞って、「助けて」と言われたような気がしてなりませんでした。

「どうせ助からないのなら、家で看取ります」と言って、私はその猫を家に連れて帰りました。数日したら、亡骸になってしまうかもしれない猫に、名前をつけてしまうと悲しみが増すだけだろうと思い、その時点では猫に名前はつけませんでした。

勝手に生い立ちを妄想

野良猫

我が家には、甘えん坊で一人っ子で育ってきた「めいぷる」という先住の犬がいます。万が一、元気になっても猫と犬が同居出来るかどうかわかりません。

けれども、「看取る」と決めて引き取った以上、私も悔いのないように、猫を旅立たせてやらなければいけないと考えました。

徐々に回復の兆しが・・・

「助からない」と言われた猫でしたが、少しずつ回復の兆しが見えるようになりました。数日経つと、ご飯も少しずつですが食べるようになり、歩けはしないものの、なんとなく精気がよみがえってきたのを感じました。

ただ、保護して数日経っても、なんとなくいつも体から湿った、ドブのようなニオイがしていました。排泄の時も、自分ではキレイにする事も出来ないので、一日一回はお湯でお尻を洗ってやらなければならず、過酷な環境で生き倒れていたのが想像出来ました。

そんな猫を見て、私は「この子は、なんであんな牧舎の横で倒れていたんだろう」と、この猫の生い立ちを勝手に妄想しはじめました。

「幼い時、両親に廓(くるわ)に売られて、苦労して大人になったけれど、店に出たとたん、男に騙されて、捨てられて、行き倒れていた」と。

そんな生い立ちにぴったりの名前はないか・・・そんな時、ふと「千代」という名前が閃いたので、その猫を「千代」と名付けました。

先住犬めいぷるが「妹」として「千代」を受け入れるまで

めいぷるとチー

数ヶ月経つと、千代はなんとか床の上を這うことが出来るくらいに回復しました。

けれど、足の立たない猫を、他の人に譲るワケにもいかず、我が家で飼うしかないと思いましたが、先住犬のめいぷるが猫の「千代」を受け入れないと、二匹ともに大きなストレスがかかります。

幸い当のめいぷるは千代(呼び名はチー)が歩けない時から、すんなりと受け入れてくれました。
チーの体が冷えないように体を寄せて温めたり、床を這うチーのお尻を鼻先でつついて、歩く練習をさせたりと、なにかと世話を焼いていくれました。

そんなこんなで、結局チーは我が家の二女として一緒に暮らすようになりました。

猫への偏見を吹き飛ばしたチー

チーの写真

「猫は懐かない」「猫は、自分の子供を見殺しにするほど薄情」「猫は、気分屋でわがまま」…私は猫を飼うまで、本当に猫のことを何も知りませんでした。

犬の方が情緒豊かで、忠実で、情愛が深い。反対に猫には、飼い主に対する情愛などなく、気分で甘えたり、そっけなくしたり…と、猫よりもずっと犬の方が優れていると思っていました。

チーと暮らしてみて、猫も一生懸命に生き、人を愛し、それを私たちに伝えたいと思っていること、人や自分以外の動物の感情をくみ取ること、とても気を使うこと、嫌なことをされてもじっと我慢すること、ごはんも、甘えるのも、遊ぶのも、常にめいぷるが一番、自分は二番目、と常に控えめであること…。

私の猫に対するあらゆる偏見を吹き飛ばしてくれました。

まとめ

ウトウトする猫

めいぷるがぐっすり眠った後、誰にも気づかれないくらいにそっと私に近づいて、私の肩に顎を乗せて、すやすやと眠りにつくチー。この瞬間だけは、私が一番…と言いたそうに満足する寝顔を見ていると、私まで幸せな気持ちになれます。

猫という生き物が、こんなにも思慮深く、愛情深く、遠慮がちで、でも、時に天真爛漫な、犬と同様に、とても魅力的な生き物だと、日々驚かされます。チーと出合わなければ、私は一生、猫の魅力を知らずにいたことでしょう。

一緒に暮らし始めて、二年以上経った今、やっと「遊んでほしい」「早く寝よう」などのチーが、自分の欲求を態度や声に出して現わすようになりました。

猫の寿命から考えると、二年という月日は決して短い期間ではありません。けれど、少しずつ、心の扉が開かれて、チーの心の声を感じ取れるようになっていくようで、これから一緒に過ごしていく歳月が楽しみで仕方ありません。

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