1. 自分のせいで死なせてしまった
愛しいものを失うと、人はなぜか自分を責めてしまいます。許しを請えるのは逝ってしまった相手からだけ。自分を許すことはなかなか難しく、疲れ果ててしまいます。
そんな時は、責めるのを少しだけお休みしてもいいかもしれません。そして、心の中で相手を抱きしめ、謝るのではなく思い切り可愛がるのはいかがでしょう。
少なくとも私はそれで、謝るのは自分が死んだ後でいいと思えるようになりました。生きている間「親ばか」を続けることで、彼を可哀想な猫から幸せな猫にできるかもしれない、と思ったのです。
2. いつまでもあの子に寄り添いたい
四十九日が過ぎると、自分でも喪が明ける頃だと感じ始めるものです。しかし、
- 忘れたらあの子がひとりぼっちになってしまう
- いつもそばにいてやりたい、感じていたい
- 悲しむのを止めたら、見捨てたと思わないだろうか
などと感じ、涙のやめ時を逸してしまうことがあります。もちろん悲しみ方にセオリーなどなく、いくら悲しんでもいいのです。
しかし、時には、「立場が逆ならどうするか?」と考えてみるのも悪くありません。おそらく飼い主さんのほとんどは、逝った子たちの側にいて寄り添うのではないでしょうか。そして、彼らが昼寝をしていれば撫で、遊んでいれば微笑むだろうと思うのです。
では、ペットたちは?そう問いかけてみると、彼らが答えを導いてくれる気がするのではないでしょうか。
3. 元気になったらあの子を忘れてしまう
愛しい子が「過去のものになる」「忘れてしまうかもしれない」というのは、飼い主にとって恐怖です。
だからでしょうか、泣き続けると彼らをつなぎ止められるような気がします。もしかするとそれが1種の安らぎとなって、悲しむのを止めることができないのかもしれませんね。
しかし、ペットを失った人がみな口にすることですが、いつまで経ってもふとした弾みで悲しみが当初のまま蘇ってくるそうです。思い出すことが減り、記憶が曖昧になって行っても、私たちの心の中にある彼らの存在の大きさは変わりません。泣こうが笑おうが、同じように時は過ぎる。そして、私たちが彼らを忘れることは決してないのです。
まとめ
私たちはどんなに悲しんでもいいのです。しかし、ペットロスを長引かせていいことはやはりありません。ペットを失った人たちが口ぐちにいうのは、「逝ったペットのことを忘れることはない」ということです。新しい生活にまぎれて思い出す時間が減ったとしても、相手に対する気持ちの大きさはずっと変わりません。
ならば、悲しむだけ悲しんだら、安心してネガティブシンキングを止める練習を始めてみませんか?止める勇気は愛するペットがくれるはず。なぜなら、彼らがそれを1番待ちわびているのですから。