元野良猫が少し人を信じた日

元野良猫が少し人を信じた日

数年前まで非常に野良猫の多い地域に住んでいました。ちょっとしたきっかけで餌やりさんとお付き合いができ、ある日「大体1歳位の猫を保護して欲しい」と頼まれたのが、私と野良猫ヘイの出会いだったのです。

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野良猫大量生息地

大量の野良猫

もう今から10年ほど前。当時住んでいた場所は非常に野良猫の多い地域でした。

夜遅く犬の散歩に出る私は「猫の集会」のようなものに加えて、‟餌やりさん”がご飯を持ってくるのに集まる猫を度々見かけていました。

やがてそのうちの数人とお話をするようになり、その界隈の野良猫の避妊・去勢、子猫の保護、里親探しをするようになったのです。

じゃじゃ猫慣らし要請

ある日、餌やりさんが「自宅のほうに来る猫で、その界隈のボス猫に追いかけまわされている子がいる。まだ1歳くらいだし何とか飼い猫に出来ないものかしら?」と、相談を持ちかけてきました。

二つ返事でとはいかないまでも、とりあえずその猫を引き受ける事にしました。この時はうちで飼うつもりはなく、人慣れしたら里親を探すつもりでいたのです。

そうして連れてこられたのはボスに追い回されるより、むしろ「俺がボス」という風情のかなり大きなオスの黒猫でした。

私は、これから飼い猫として新生活をスタートする彼に「ヘイ(黒)」という名前を付けました。
単純ですが新しい家に行くまでの仮の名前です。きっと新しい家族にはもっといい名前をつけてもらえるに違いない。

そう・・・まさかその単純明快な名前を今も呼び続ける事になるなんてこの時は露程も思っていなかったのです。

大きな体に臆病な心の黒猫

オレンジのトイレに入った黒猫

餌やりさんから「とにかく臆病で」とは聞いていたのですが、ヘイの怯え方は想像以上に酷く、想定以上に長く続きました。

ひとまず落ち着くまで猫用ケージに入れたのはいいものの、私の姿が見えると威嚇をし、食事にも手を付けません。ケージに布をかけて周りが見えないようにすると、やっと食べ始めます。安心して少しケージに寄ったり、布を捲るとまた威嚇の嵐。よくもまあ、そこまで怒れるものだと思う勢いで怒るのです。

しかし、これは怒っているというよりも非常に怯えているんです。ヘイは元々臆病な性格の上に、人に対して大分恐怖心を持っているようでした。

「最初からダメだと思ったら何も出来ない」

今でも彼の話を人にすると「もし慣れなかったらどうするつもりだったの?」と、聞かれる事があります。

ヘイの場合は躾けというよりもリハビリに近いと思いますが、1年野良として暮らしたら、リハビリには同じく1年、彼の性格を考慮すると2年は掛かるのではないか?というのは想定していました。
恐怖と背中合わせに生きていたのと同じだけ、時間を掛けないとその恐怖は拭えない。

不安がなかったわけではありません。理由はどうあれ牙を剥かれて恐怖がなかったわけでもありません。猫とはいえ大きさが大きさです。それに引き換え、私は人とはいえ大分小柄。

でも、こちらがそう思って及び腰で接すれば、動物というのはそれに気付いてしまいます。こちらが「出来ない」と決めてしまったら彼とは永遠に歩み寄れない。

動物が恐怖の本能を隠せないなら、私は人としての理性で自分の恐怖や不安を抑えこんでやろうじゃないか。これは猫との闘いではない。己との戦いだ!

このように決めて、威嚇されようが噛まれようが引っかかれようが、とにかくヘラヘラと笑って世話をしていたのです。

初めて出来た猫仲間

柴犬と黒猫

当時の我が家には柴犬と今は亡き3匹の猫達がいました。

ヘイは外で他の猫に追われていたし、うちの先住猫達も子猫はともかく大きな新入りは初めてだったのでどうだろう?と心配していました。しかしヘイは意外な事に私に慣れるよりも早くこの先住猫と犬に慣れてしまったのです。

しばらくして家の中は自由に歩き回れるようにしたのですが、犬や猫と喧嘩することはありませんでした。本気で喧嘩をすれば、体も大きく若いヘイは誰よりも強かったでしょう。でも、彼がそんな事をしている姿は一度も見た事がありません。

このように先住者たちとは打ち解けたのですが、やはり変わらず私にはちっとも懐く様子はありませんでした。強いて言えば見ている分には威嚇されなくなっただけマシで、触ろうとしたりうっかり大きな音を立ててしまうと逃げられるという状態がまだ続いていました。

突然の尿道閉塞

窓際の黒猫

そんな感じで、たまにケージに入れてみたり外に出したりしながら1年半ほど経ったでしょうか。

その日も仕事で帰りが22時をまわっていました。ヘイはその時ちょうどケージに入れていたのですが、帰宅してケージを覗き込むとトイレに座り込んで動きません。

いつもなら私がいなくなった後に食べるご飯も手付かずになっています。ケージに手を差し入れても怒りもせず、そのまま抱き上げても逃げたりしません。大きな彼を抱き上げてトイレを見ると、トイレの中は空でした。

「尿道結石」
「尿道閉塞」

パッと頭に浮かんだのはそれでした。
元々掛かりつけの病院は夜間診療もあるため、先に連絡を入れて病院へ急行。もし尿道閉塞を起こしていたら、一秒でも早く処置をしないと命に関わります。

いつもはケージに入れるのですらスペインの牛追い祭並みの騒ぎだというのに、この日は成すがままでキャリーバッグに収まりました。この時ほど「猫というのは嫌な事をされたら暴れるくらいでちょうど良い」と思った日はありません。

病院に到着すると、先生方は既に準備をして待っていてくださいました。診察の結果は案の定「尿道結石による尿道閉塞」すぐに処置が行われ、なんとか事なきを得たのです。

うちの子になるかい?

キジトラと黒猫

尿道結石の原因は食事、ストレス、環境、遺伝など様々な事があげられます。「野良から家に入れた事がストレスだったのだろうか?」とも思いましたが、先生曰く「必ずしもストレスとは言えないし、そもそも野良暮らしは結石以上のリスクがあります。その他の要因も必ずとは限らない」との事。

確かにそうなんですよね。野良猫は一見自由でストレスなく見えますが、実際には事故、もっと致死性の高い病気、飢え、縄張り争い・・・そうゆう死に直結するリスクに取り囲まれているのです。
我が家から今まで尿道結石の猫は出た事がありませんが、尿道結石は一生付き合っていかねばならない病気です。

今まで以上に体調は気付けなければならないし、ヘイの臆病さは多分一生治らない。そしてヘイは‟睾丸停滞”という睾丸がお腹の中に入ったままの猫らしく、将来的に腹部にある睾丸が癌化する可能性もあります。里子に出すにはかなりハンデがあるのではないかと思いました。

別にうちで飼うなら多少懐かなくても私は気にしない。そりゃ懐けばそれはそれで嬉しいです。でも懐いていない野良猫を眺めるのも好きだから、まぁ家の中に野良猫が迷い込んできたと思えばいいんじゃないかと思ったのです。うちにいる分には他の犬猫とヘイさえ良ければ、慣れるのに何年掛かっても関係ないですから。 

少なくとも家の中なら先に述べたような野良暮らしのリスクはありません。それに当時は私も忙しい勤め人で一日の半分は家にいません。ストレスとリスクを秤に乗せると、どう考えてもストレスのほうが軽いのです。

「ヘイ、もううちの子になるか?まぁ今更嫌って言われても放り出すわけにいかんしね。観念してうちの子になりなさい。懐かなくても怒りゃせんから」
そうして、この大きな猫は我が家の4匹目の猫になったのです。

病気という転機

「うちの猫にしよう!懐かなくても気にしない。ヘイが楽しかったらそれでいい」そんな私の心を知ってか知らずか、この夜を境にヘイは変わっていきました。
直接投薬出来ないものの、以前と違い私が見ている前で薬入りのご飯を食べ、病状が落ち着いて再びケージから出ると自分から近寄ってくるようになりました。

そして病院で暴れたのも、あの夜の診察が最後。それ以降、怯えて鳴いたりする事はあっても、以前のように大暴れという事は一度もありません。流石にキャリーケースに入れる際は大騒ぎですが、病院での態度は歴代の猫の中で一番大人しいのです。

飼い猫ヘイ

ストーブの前の黒猫

ヘイが我が家にやってきて、早いものでもう10年です。精悍だった猫が今ではすっかり太ってしまい、現在の体重はなんと7.9㎏!その姿からは誰も「元・野良猫」だなんて想像しないでしょう。

でも、彼はまだ‟どことなく野良猫”です。私が“野良歩き”と呼んでいる、姿勢を低くしてコソコソと歩く癖は今でも抜けません。そして何故かちょっとした扉を開けるなどの事が出来ないようです。

臆病なのも相変わらず。網戸越しであっても他人の気配を感じると奥へ隠れてしまいます。私には何とか慣れたようですが、数年に一度2~3日家を空けるとどうやら忘れられてしまうようです。帰宅しても半日は姿を現しません。 他の犬猫のように常に傍にいるという事もありません。ご飯が欲しい時と気が向いた時だけ顔を出します。

ただ、不思議と私が床へついた時は必ずやってきます。何処で見ているのか、昼夜問わず横になると姿を現し、どんなに蒸し暑い日でもその巨体を半分乗せるようにしてべったりと私に寄り添い、さも気持ち良さそうにゴロゴロと喉を鳴らします。

そして病院へ行けば先生が笑いだすほど、ヘイはずっと私を見ているのです。「この子は相当あなたを信頼しているようですよ。姿が見える時と見えない時で顔が全然違うんですよね」そのように言っていただけるのは非常に嬉しい事です。

まとめ

唐草の首輪の黒猫

野良猫を保護して飼い猫にすることが本当に猫のためになるのか、それは私には分かりません。答えは分からないものの、太いお腹を出して無警戒に寝ているヘイの姿を見ると「あぁ、これが答えだ」とは思うのです。

人一人、例え団体であっても全ての命を救う事は出来ません。出来る事には限界があるというのが現実です。でも、完璧に出来ないからと最初から何もしないのは少し違うと思います。

少しでも、一人でも、自分に出来る事からする。私はたまたまそれがヘイという猫を人と暮らせるようにするという事だっただけです。

誰にでも出来る事というのはあるのではないでしょうか?
大きなことでなくてもいいのです。

ちょっとした事、そのちょっとの積み重ねが信頼や絆となり、人と動物を繋いでいくのです。

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